やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録no.13 「‥‥風呂に入れます  先輩Tさんのこと」

 「‥‥風呂に入れます 先輩Tさんのこと」

 

新しく配属になった職場に Tさんがいた 

話すことが得意ではなく ちょっとだけ ある喜劇俳優に似ており ユ-モラスな表情

と笑顔が特徴の 親しみやすい先輩だった

 

Tさんは書くことも苦手で 仕事の報告書などは多くがひらがなで 書き方も自分流に

並べており 周りの先輩たちが 黙って手直ししていたのを覚えている

 

飲み会の時「わしは あまり字を知らんでなあ」とつぶやいたTさんは 

戦前生まれで10歳の時に 終戦を迎えたという

 

家が貧しく 田畑仕事を手伝いながら学校へ通ったが 勉強が好きでないことも加わり

行かない日の方が 多かった とも言っていた

 

戦後の混乱もあって どうにかして今の会社に潜り込んだが この時代は 

結構あったそうで 「あいつもそうだし あいつも一緒」と 何人かを同罪にしていた

 

会社の朝礼時 順番に 自分が「今日やるべきこと」を 発表する機会が設けられ

はじめて Tさんが みんなの前に立った

 

ふた呼吸ほどの後 小さな声で  

「家内を 風呂に入れます……」 

沈黙が続き Tさんが気まずそうに 下を向いた

 

みんなは知っていた Tさんの奥さんは体が弱く 介護が必要であること 

二人暮らしの中で Tさんは 独りで慣れない家事をこなしていたこと

多くの時間を 奥さんのために費やしていたこと など

 

しばらくして 課長が

「私もTさんを見習わなければならないな ありがとう」

拍手が起きたが Tさんはいつものユ-モラスな表情で 戸惑ったように小さく

笑って また頭を下げた

 

それから十数年 ずっと家で暮らし続けた奥さんは Tさんに見守られて彼岸へ渡り

やがてTさんも 後を追うように 渡っていった・・・

 

  

春夏秋冬 いくつもの四季を 支え 支えられて生き抜いた Tさん夫婦

茜空を見て思う

二人は 幸せだったのだと

そして 今もきっと 幸せに暮らしていると 

 

 

 

      Tさん 今日も 奥さんをお風呂に入れてあげてますか?  

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霊園風景 その12 「納骨堂」での想い

   「納骨堂」での想い

 

やすらぎ霊園の「納骨堂」は  敷地の中ほどに位置しており 

春には桜花が舞い降り 初夏には紫陽花タイサンボクが 咲き誇る傍に 

建立されています

 

静寂に包まれた堂内には 多くの御霊が休まれ 訪れたご家族が お花を供え

愛おしげに語りかけている 姿があります

 

そして 参拝者の帰られた後の納骨堂に ただようお線香の香りが やわらかな時間

を届けてくれるのです 

 

 「さよならも言うことなく わたしの見えない 世界へ旅立っていった あなたへ

  わたしは 感謝や いたわりの言葉を どれほど伝えたのだろうか……

  数えきれない出来事から よみがえるのは いつも 後悔の記憶ばかり」

 

 亡き人を偲び 抱き続けてきた 想いのひとつひとつを 語ることが 

 わたしにできる供養  

 ともに過ごした時間を振り返り なつかしみ ふと涙する  

 

 あなたは 大切な人との時間を どれだけ共有していますか?

 

 

                                   

                

             【新秋の自然に包まれて 納骨堂】  

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain         君がいる 納骨堂から 夏日去る

 

 

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回顧録no.12 「‥ひょうひょうと生きた父のこと 4/4」

   「‥ひょうひょうと生きた父のこと 4/4

 

 

  健康で 風邪さえひいたことのない父だったが 75を前にして体の不調を訴えた 

 近くの医院ではわからず 街の総合病院で検査した結果 末期の膵臓癌

 余命1年余 りと診断された 

 

 父は 故郷での治療を希望し 村の診療所に入所した

 

 少しずつ弱っていったが 悔いることも  嘆くこともなく 母や姉の看病も

 受けながら 静かに治療を続けた 

 

 家に帰りたいという望みで 夏のある日 生まれ暮らした家で 一夜を共にした

 痩せ細った体を洗い 作り笑いで浴衣を着せたとき ふいに涙がこぼれた

 二度と帰れないとわかっている父は それでも いつも通りに静けさと同居し

 ゆっくりと 少しだけ焼酎を口にした

 

 「行きたいところは」と聞いたが 「どこもない ここが一番いい」と笑って答え    やがて 曼珠沙華の咲く頃を待っていたかのように 祖父や祖母の元へ旅立った

 

 強がらず 逆らわず 人にやさしく 風の吹くまま 雲の流れるまま

 ひょうひょうと生きて ひょうひょうと去っていった父 

 75年間 貧しさの中でも 決して 辛さや苦しさを見せなかった父  

 

    わたしは父の子で幸せだったと 思う 

 

 

 手元にある 晴れた秋の日の一枚の写真 やっとの思いで建てたお墓の横で 

 腰に手を当て やさしい笑みを浮かべた 作業服の父がいる 

 「父さん 今 どこで働いていますか?」             (終)

  

   

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霊園風景 その11 「 美しい百合の花・・・ ですが・・・」

   「美しい百合の花‥‥ ですが‥」

 

                                      【お墓たちと共存するタカサゴユリの群】

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   8月の終わり頃になると やすらぎ霊園のあちこちに 白い百合の花が 

 美しい姿を見せてくれます

 見た限りでは 日本原産の「鉄砲百合」に 似ていますが よく見ると少し 

 違います その最大の特徴は 外側に赤い線が入っていることです

 

   この花はタカサゴユリといい 台湾原産の百合で 大正時代に 観賞用として

 日本に持ち込まれたそうです

 

 風で種子が飛び 適応力が強いため いたるところで 見ることができ、 

   また観賞用として 庭や道端に植栽している風景も 目にすることがあります

 

 やすらぎ霊園の百合たちも 何処からか風に乗り ここに住みついたのでしょう 

 

 毎年 夏休みの終わる頃に顔を見せてくれる タカサゴユリですが この花は

 れっきとした 外来植物で 在来植物に影響を与えるということで 

   好ましくない花に 位置づけられています

 国立環境研究所でも  抜き取りや切り取りでの 防除を呼びかけています

 

 花には 何の罪もないのですが さて このタカサゴユリ どうしたものか 

 せめて ひと夏を謳歌させてあげてから 考えましょう

 

    

            

 

 

f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 墓たちが 来るか来ぬかと 彼岸待つ   

 

 

 

✾秋のお彼岸フェア開催中✾

http://www.yasuragi-reien.jp/2017_autumn.pdf

 

 

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回顧録no.11 「‥ひょうひょうと生きた父のこと  3/4 」

「‥ひょうひょうと生きた父のこと 3/4」  

 

 

食べることや着飾ること  物を持つことなど 父は何にも望んでなかったように思う

望んでもかなわない あきらめだったのかも知れないが わたしの記憶の限り 

そうしたものには 全く縁がなかった

 

夕食時には 塩鯨一切れをつまみにして焼酎を一杯飲み 漬物やお茶づけで 軽く

ご飯を流し込み 安い煙草をくゆらし 手枕で ラジオから流れる雑音交じりの浪曲

きながら しばらくのうたた寝の後 静かに寝床へと足を運んでいく

 

それが   父のかもし出す光景で 浪曲の調は あの頃の夜につながる

 

働き者で 朝早く弁当を下げて出ていき 帰った時の作業服はいつも汚れていたが 

やさしい笑みを絶やさない 父の表情は とても 誇らしかった 

 

お酒は弱く 祝い事などの飲み会でも 短い時間ですぐに席を立ち 縁側で煙草を楽し

む姿や 畑をゆっくりと歩いている姿などの 光景があった

 

長々と飲むのが 好きではなかったのか それとも お酒で借金をつくった祖父のこと

があったからなのか  最後まで 聞く機会はなかったが

 

ただ 一度だけ 外で酔いつぶれた父を 迎えに行ったことがある 

肩を貸して小道を帰るすがら 伝わる息遣いに 父のつらさや苦しさに 

触れたような気がして 涙が出た  小学生の終わり 夏の夕暮れ     (続く)

 

 

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「秋のお彼岸フェア」 開催のお知らせ

 

     9月16日~「秋のお彼岸フェア」がはじまります

   

   昔から、極楽浄土は西の彼方にあると信じられ 、太陽が真東からのぼり、 

   真西に沈む、春と秋の秋分の日に西の太陽を礼拝したのが、「お彼岸」の

   始まりといわれています。 

   この世からあの世へと、住む世界は変わっても、彼岸へ渡った先祖を敬い

   供養する思いは今も引き継がれており、「お彼岸」は、あらためて 

   わたしたちに、気づきを与えてくれる機会でもあります

 

   やすらぎ霊園では、9月16日(土)から24日(日)まで「秋のお彼岸フェア」 

   を開催いたします。

   今年のフェアでは、皆さまへの感謝の思いを込めて、墓石指定店が自信を持って  

   お薦めする「展示墓」の特別価格提供をはじめ、建立済お墓の感謝価格など

   いくつもの特典を準備いたしました。

   どうぞ、この機会にご家族おそろいで「やすらぎ霊園」にお越しください。

   職員一同、心よりお待ちしています。

 

 ※詳しくはホームページをご覧ください

     http://www.yasuragi-reien.jp/2017_autumn.pdf

 ※「お彼岸献花代行サービス」もご利用ください

   http://www.yasuragi-reien.jp/floraltribute.pdf(こちらから申し込みできます)

 

 

 

     【今日もさわやかな風が吹き抜けていきます やすらぎ霊園】

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霊園風景 その10 「百日紅の咲く頃」

  百日紅の咲く頃」

 

やすらぎ霊園では 四季折々にいろんな草花や花木が 彩りを添えています

 

夏 お盆をはさんで 霊園内で目を引くのは 鮮やかな朱色や 眩しい白色などが

光に映える百日紅の花です

 

多くのお寺で 百日紅の木を見ることがありますが これは お釈迦様の誕生に由来し

ていると言われています

 

インドで お釈迦様は 「無憂樹」の下に生まれ 「菩提樹」の下で悟りを開かれ 「沙羅樹」の林に囲まれて入滅された と伝えられており 

これが我が国に入ってきたとき

「沙羅樹」は「夏椿」に 「菩提樹」が「桑の木」に そして「無憂樹」が「百日紅

に置き換えられ 広まったとも言われているようです

 

特に お盆の頃をはさんで 咲き続ける「百日紅」は その花はもとより ツルッ

とした 茶褐色の幹の美しさも相まって 人気のある花木になっています

 

ひと夏の間 暑さにも負けずに 咲き誇る「百日紅」には 「あなたを信じる」という

花言葉があります 

 

 真夏の太陽に 立ち向かい咲き続ける 「百日紅」を仰ぎ見ますと 

 とても強く思えて あなたを信じてみたくなるから 不思議です

 

 

 

       【高台から 美しさを届ける 元気な百日紅の花】 f:id:yasuragi-reien:20170822144622j:plain

 

 

 

f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain お釈迦様 百日紅から 笑みをかけ  

 

 

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