回顧録 no.58 「‥夢の風景 ~夏休みの 新吾十番勝負」
「 ~夏休みの 新吾十番勝負 」
小学校の夏休みの夕刻 当時 村に一軒あった 公民館まで
家族そろって 映画を見に行く
何もない 村唯一の娯楽が 忘れた頃に やって来る 巡回の映画会
父親の照らす 懐中電灯と 真夏の月を頼りに 1時間を超える道程
それでも 嬉しかった記憶だけが 残る
車道から入った 空地の先 古い木造の2階建て
屋根がついた ギシギシと 音のする 階段には
ボンヤリと 薄暗い 傘つきの電灯が 連なって下がり
その周りには多くの虫たちが 騒がしく 飛び交っている
長方形の公民館の 2階 左右に下駄箱があり
引き戸を開けると 板張りの大部屋が広がる
奥が 一段高くなっており その壁に 白い布が張られていた
すでに 多くの親子が集まり 話が弾み 笑い声が響いている
そこに 煙草の煙と匂いが加わって 雑然とした 淀んだ空気が 漂い
待ち焦がれていた 映画への 期待や興奮を 押さえきれない
やさしい 素朴な 村人たちが たくさん いた‥‥
部屋の灯りが 消され
映写機が 音を立て 薄青い光が 頭の上を通っていき
布のスクリーンには 総天然色が 躍っている
2本立てだったと 思うが 1本はよく覚えていない
それほど 時代劇「新吾十番勝負」の 印象は 強烈だった
侍やお姫様 衣装の華やかさ チャンバラのかっこよさ
俳優さんたちの 活き活きした 表情や 動き
そして 古い町並みと 今はない 山川海の自然風景
峻嶮な峠道 ススキ原の一本道 行き来する 人々
天然色の中で ひときわ輝いていたのが 主役の 大川橋蔵だった
見たことのない 美しい若武者は 限りない憧れで
瞬く間に 自分が 主役になって 悪役を退治している
それが その頃の 僕たちが夢見ることのできた 憧れの世界だったのだ
いや 子供だけでなく 大人たちも 映画の中にいた
貧しく 苦しい 生活の 繰り返しの中で ほんのひとときだけの
煌びやかな世界は 今を忘れられる 唯一の贅沢 だったのだと 思う
そして 60年近い歳月が過ぎ
あの時の大人たちの 多くは 彼岸に渡り
あの時の子供たちも 何人か 親の元へ行き
あの時の公民館は 取り壊され 杉林がそびえ立つ
あれから 僕たちは いろんなものを紡ぎながら いろんなものを解きつつ
少しづつ あちらの世界に 近づいていく
帰らない日々 帰らない人々 そして 帰らない思い出
そのどれもが たとえようもなく 愛おしく 想う頃になると
残りが 平穏で ゆったりとした 人生でありたいと
誰もが 願いながら ささやかに 生きている‥
そして 僕の瞼の奥では 今も 葵 新吾が 輝き続ける
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