やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.74 「‥夢の風景  ~塩鯖 と 塩鯨」

 

 「 ~塩鯖 と 塩鯨 」

 

           店先に 「塩鯨あります」などの 張り紙などを 見ると つい立ち寄ってしまう

   子どもの頃に 舌がおぼえたあの味は 今でも 忘れることはなく 

   目の前にあるだけで なつかしくもあり ほろ苦くもあり 

           そして‥

   鯨を ほんの少しだけ 口にしながら ゆっくりと 幸せそうに 

   焼酎を飲んでいた 父の顔を 思い出す

 

     昭和30年代のふるさと 

   ようやく 多くの車が走り始めた頃 

   ようやく お金持ちの家に テレビが来た頃

   それでも 村から町への距離は とても 遠く   

   家で口にした 生魚といえば 鯉ぐらい

   海からの魚は 全て 塩漬けか 干したもので 塩漬けの代表が 

   塩鯖 と 塩鯨 だった

   特に 塩鯨は 塩の中に鯨があるようで 母は 何度も何度も 塩抜きしていた

       その後 七輪の火で炙るのだが それでも次々に 塩が吹き出してくる 

   少しの量で ご飯のおかずになる 塩鯨は 安いことに加えて

   暑さもへっちゃらだったから とても重宝していた 

    

   塩鯖は その後に入ってきた

   塩鯨より ずーっと高く 幾つかに分けられた 小さな切り身を みんなで

   分け合って食べ 父は 頭の部分 僕は 尻尾の部分と 決まっていた

   父が最後に 骨をお茶に入れて 美味しそうに 飲んでいる 光景も

   焼き付いている

   鯖の隣には 焼いた里芋と 大根おろしが 添えられて  それは‥

   あの頃の 最高の 御馳走だった 

 

   時代が経ち とても 豊かになった この国 と   人々 

   欲しいものは 何でもあり 手にすることもできる

   それでも あの頃 御馳走と思った 塩鯖や塩鯨は 

   今でも 本当に 美味しいと思う

   何もなかったとき 貧しかったとき 

   授かった 嬉しさや楽しさは 決して忘れない

 

   「最後に食べたいものは?」と 聞かれれば

   迷うことなく 「塩鯖と塩鯨」 と 答えるだろう

   それを食して 妻や父や母の元へ行ければ 本望だ‥

 

 

 

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