やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.85  「‥夢の風景 ~花の東京」  2/5

  「~花の東京」   2/5

 

       住まいは 板橋区の北だった

    事務所まで 電車で約1時間 乗り換えなし それが魅力で 決めた

    電車一本で   1時間 は 当時としては 破格の好条件だった と 思う  

 

    だが その判断は かなり甘く 現実は 違った

    

    始発駅近くには 大きな集合住宅があり 通常の通勤時間帯の電車は 超満員

    状態

    そして 当時の都営は エアコン付が わずかで ひと車両に3個ほどの扇風

    機が 申し訳程度に 唸り声を上げ続け

    梅雨から夏の時期 すし詰め状態で通う姿は 我ながらに嫌だった

    窓ガラスが割れたり 女性の靴が片方残されていたりの 光景や

    時には いざこざなども 目のあたりにしたことがある

    自分も含めて この時期の この状態は イライラして当たり前の 日常だっ

    たのだ

    それを 必死にこらえて 毎日通勤している人たちには 尊敬の念しかなく

    今は TVで見るばかりだが 混雑する駅頭が出ると 思わず 頭が下がる 

    

    昼食も 嫌な時間だった

    当時 事務所近くには  コンビニも 食堂も少なかった

    若かったから 先輩たちが出た後 最後に 近くに行くのだが 

    空いていることは まれで たいてい30分程度は 外に並ぶことになる

    寒かろうが 暑かろうが  雨でも ひたすら待つか あきらめるしかない

    九州では  並ぶという習慣はなかったから 最初は戸惑った

    慣れればいいのだが どうしても 並ぶその時間が もったいなく

    なるべく 並ばなくていい店を 探す  そんな食堂も あることは あった

    が 味や料金は 言わずもがな だった

 

    救いは 妻と子供たちだった

    当時 長女は10才 次女は6才 九州を離れる時は 友達との別れを 嫌がっ

    たが

    新しい学校にも すぐに慣れ  妻は 初めての東京住まいが 気に入ったら

    しく

    「昨日は池袋 今度は新宿かな?」 なんて  あっという間に 溶け込んでい

    き なぜか 自分だけが 取り残されているような そんな 気がしたこと

    を 覚えている 

    だが 明るい笑顔を見れることで 幸せな一日を 予感させてくれた

    

    そして 時代は 昭和から 平成に変わり  自分にも 少しずつ 変化が現

    れてきた

    各組織の担当者 全国の青年リ-ダ- 机を並べる 諸先輩や同僚 後輩

    そうした人たちとの協同や ふれあいなどを通じて 

    冬から春 春から夏と 四季の景色が 少しずつ 明るく 変りゆくように 

    心の中にも ゆとりのような 遊び場ができ 職場に行くことが 楽しく 

           仕事も 魅力ある存在に 近づいてきてくれた

    

    一年が過ぎ おぼろげにも その道が 見え始め 

    ささやかな 喜びを 日々覚えるようになった 花の東京

                                  (続く)

 

 

                 【事務所から2番目に近い駅 歩いて15分ほど要した】

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