やす君のひとり言

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~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.87 「‥夢の風景 ~花の東京」 4/5

 
 「~花の東京」 
 4/5

   

       東京在勤 2期目 区切りの4年目に入る

  全国規模の行事は 多忙を極め 帯状疱疹を発症し 胃潰瘍を患う など

  はじめは 不安定だったが やがて ひとつ またひとつと 峠を越えるごとに

  心身とも 鍛えられ この頃には 不安より 自信の方が 前を走っていたし 

  仕事にやりがいや 目標などを見い出し 己の立ち位置や 姿勢なども  理解し

       戸惑うことなく 少しずつだが ゆとりを持って 行動できるようになっていた 

  と 思う…

   

  その年の夏 父に癌が見つかり  あと一年余りの余命と 告げられた

  来年夏 任期は終わるが 九州に帰る想いより 東京で頑張る想いを 

       強くしていたから

  父の病を聞いたとき 「なぜ 今?」  

  一方で 父の最後に 逢えないかもしれない 

  そのことだけが 自分の東京残留を 決断できずにいる

  それは‥

  苦労続きの 厳しい暮らしの中で 必死に育ててくれた 恩であり

  年老いて 気弱になりながらも 傍で支える母への 詫びであり

  どれほど 心で思っていても そこに いないことへの 罪悪感が 付き纏う

  

  だが‥

  九州に戻れば 妻や子供は やっと慣れ親しんだ この地や 友達に 

  さよなら しなければならない

  3人の 胸の内を思うと 口に出すことが できなくて 行ったり来たりする 

  「お父さんだけ 帰れば」 なんてことも あり得ると 思ったりもする  

  年の瀬 妻に悩みを 打ち明けた  年内には 右か左か 決めたかったのだ  

  妻は 迷うことを微塵も見せず 帰ることに 賛成し 

  子供たちも うなずいてくれた

  事前に 察していた妻が 話をしていてくれたらしい

     

        いつだったか 妻に なぜ 九州に帰ることを 賛成したのか 

   聞いたことがある

  「お父さんだから‥‥」

  あとは言わなかったが 朴訥として 無駄なことは言わず 

  いつも 自然体だった父のことを 好きだったのだと思う

    

   そして‥

   平成4年が訪れ  花の東京に 別れを告げる日が 近づいてきた

                               (続く)

 

 

 

      【最後の年末年始 家族で信州を訪れた】

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