やす君のひとり言

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~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.88 「‥夢の風景 ~花の東京」 5/5


「~花の東京」  
5/5

 

 平成4年の年が明けた

 早くから相談していた Sさんにだけは 帰る意思を伝えていたが

 彼は 反対し続けた

 「トップになれ とは言わないが 二度とない機会だし 活かすべきだよ」

 近くにあった 老夫婦が営む なじみの居酒屋で   

    何度か 手を変え 品を変え 思い止まらせようと 躍起で

 最後は 老夫婦も入っての 説得も試みてくれた

 嬉しかった…

 

 だが 決意は 変えようが  なかった 

 帰ることを前向きに捉え 九州で再挑戦して いつか Sさんの期待にも

 必ず応えようと 思っていたし その想いも正直に伝え そして

 最後は 「九州で頑張れ」の言葉を 贈ってくれた

 

  6月九州帰任が決まり 8月夏休みの早朝 家族は東京駅で 花の都に別れを告げる

 4年前 来るときは飛行機だったが 「ゆっくり 景色を見たい」 という

 妻の希望で 帰るときはJRにした

 支えてくれた仲間が集まってくれ 窓ガラスの向こうで 「バンザイ」を繰り返す

 想いの詰まった ひとりひとりの顔が 涙でぼやけ 泣き笑いで 頭を下げる

 それは 花の東京への 4年間のお礼でもあった

   

    そして 9月 曼殊沙華が咲く早朝 家族が見送る中 

 安心したかのように 静かに 父が旅立った

 苦労続きだった父と 支えた母に感謝し 妻と子供らに感謝し  

 東京の仲間に感謝し 東京という街に 感謝した

 

 重い 想う 4年間だった

 戸惑い 憤り 嘆き 苦しみ そうしたものを 大方飲み込んで

 前を向き生きる術を 心と体に 染み込ませてくれた 4年間だった

 駅頭でも 交差点でも 上手く渡っていけるようになり

 地下鉄構内でも 迷わなくなり 何より 標準語に近づいた

 そうして 築いた4年間は 今でも この中にあり

 心と体が覚えたことは 簡単には無くならない ふとした時 表に出てくる

 

 あの時出逢った 全国の仲間 そして 東京で頑張る 友や先輩との ふれあいは

 これからの 残された人生を 彩っていく

 仕事をリタイアしたら 晩秋を選んで 友に逢う旅に出ることを 決めている

 真っ先に逢うのは 癌と闘っているSさん 

 もちろん 東京経由で行く

 さも 江戸っ子です なんて顔をして 交差点を 胸張って  渡っていく

 

 ありがとう 花の東京!             

                               (終わり)

 

 

 

      【よく行った友楽町ガード下 はじめて   ホッピーなるものを知った】 

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