やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no. 33 「‥‥子ども達の星 Sさん 」

 

「‥‥子ども達の星 Sさん 」

 

 1993年10月末 夜8時過ぎ タイ国 ドンムアン空港

 手書きのボ-ドを抱えて 待っている 多くの人の中に Sさんがいた

 

 ちょっと見は お坊さん風 頭に髪はなく 丸いメガネをして 身長160ほど 

 白シャツのサンダル履き 首には 「歓迎 〇〇様」の ダンボ-ルが下がる

    ニコニコと まるで 古い友達を迎えているように 笑っている

 抱いていた不安感が 一瞬で 和らぐような 温かい雰囲気を 持った人だった

 

 暑さと 湿気と 生ごみ等の匂いが 入れ交った スラム街の 一角にある

 ボランティアセンターで 簡単な挨拶のあと Sさんは ちょっと鋭い 目で

 「なぜ ここに来たのか」と 問うた  

 「国外ボランティアを通して 教育を考えたい」と答えた

 

 「教育が必要という 考えには 同感です

  しかし この国の 田舎やスラムに暮らす 子供たちには 学ぶ機会さえ

  与えられていません

  だから 国が貧しい 貧しさから抜け出るためには 教育しかないのです

  あなたの組織の若者が この国で 学ぶように

  この国の スラム街の子供たちが 学べる機会を お願いしたいのですが」

 

  それから 1か月 Sさんにお世話になり タイ国内各地での 研修や視察を重ね 

  帰国後 間もなくして 組織リ-ダ-を創るための タイ国研修制度と同時に

  タイ国の子供たちを支援する 教育基金制度を提案し 設立が決まった

 

  それが 子供たちへの 限りない愛情を 訴えた 熱意と 

  そこまで導いてくれた Sさんへの せめてもの お返しだった

  

  それからずっと Sさんは タイ国の子供たち支援を続け 

  そして 10年前  病を発症 ふるさとへ帰ることを 選び

  生まれ育った国 日本で この世を去った     まだ60代だった

  彼の 葬儀には かつて 彼に愛され 今は タイ国を支えるまでになった  

  多くの教え子たちから 死を悼み 悲しむ 弔電や言葉が寄せられたという

 

  世界中を歩き回り 最後にたどりついた タイ国

  ひとりの 人間が やれることは 限られているが

  彼は 病に倒れるまで この地で この子らとともに 笑い 喜び

  彼らの成長に 全てをなげうって 星になった

 

  Sさんと逢って 25年 

  彼の 熱意で創られた 教育基金制度は 

  今も 学びたい 子供たちの思いを 支え続けている

     

 

     

 

         【 当時 バンコクの至る所で見られたスラム街 】

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