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~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.34 「‥ 隣国の父 Kさん」

「‥ 隣国の父 Kさん」

 

  Kさんは 隣の国の 企業に勤める 役員で

  相互交流で 団長として来日した際 担当になり 1週間ほどお世話したが

  はじめから おわりまで 見事なまでの 紳士だった

 

  「わたしは あまり飲めませんので お手柔らかにお願いします」

 

  多くの場合 団長が 外交辞令として 使う言葉であったから 

  無理に 勧めてみたが 本当に飲めない人で 僅かの量で 真っ赤になった

  

  日本に来るのは 初めてといい 特に 古いお寺や神社に 興味を持ち

  公式行事の合間をぬっては 「行きましょう」と 誘ってくれ

  長く ひとりで 頭を垂れ 歴史と時間を 共有していた

 

  日本語が 口から出ることは 公の場で なかったが 通訳する前から

  理解していたように感じたし 二人の時の ありがとう や おはようございます

  は 日本人より 美しい日本語だった  

  

  日本が 統治していた頃 Kさんは 中学生くらいか

  おそらく 言いようもない 辛い思いや 出来事が ありすぎて

  刻まれた しわの中で 静かに見開く眼と 時々の表情が それを物語っていた

 

  贅肉の全くない 少し腰を曲げて歩く姿 白髪で ポマ-ドの匂う髪

  お酒を飲むときの ゆっくりとした しぐさ 木訥とした やさしい笑顔

  その面影は ふるさとで 暮らす父に 重なり

  僅かな時間だったが そこに もうひとり 父がいる そんな 気がした

  

  父も 戦時中のことは 全く触れることはなく 出来事も想いも 

  心の奥に 仕舞い込み 垣間見えるのは 

  雨の日に 縁側で 庭を見るともなしに 煙草をくゆらすとき

  の 寂しさ模様

  

  Kさんも そんな雰囲気を 携えていて なつかしく 甘酸っぱかった

 

  それから数年経ち 隣国を訪れた際 Kさんが ふるさとから 長時間かけて

  お土産を手に 逢いに来てくれた

  何も言わずに ゆっくりと 抱きしめてくれたことを 覚えている

  やはり ふるさとの父に似て 重ねた年の分だけ 丸くなっていて

  

  「‥いまでも この写真を 持っているよ」

  そう言って 見せてくれたのは 

  京都の ホテル前を Kさんと二人で歩く 写真

  冬の朝で コ-トに手を入れ 仲良く笑っている

  なぜかしら やはり 親子に見えてしまい 泣きそうになる 自分がいた

 

  父は すでに他界し 

  隣国の父も  海を隔てたふるさとの 山に抱かれて 眠っている 

 

 

      

 

 

        【30数年前 Kさんは あそこに 立っていた】f:id:yasuragi-reien:20180625093747p:plain

 

 

  

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