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~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.38 「‥潔かった M先輩  2/2」

 

  「‥潔かった M先輩」

        

       緊急の 全体集会が開かれ

  反対派の声が 高まる中 思わず立ち上がり M先輩擁立の正当性を 訴えた

  緊張と感情の高まりから 最後は 涙声になっていた

  話した内容は 忘れたが 自分なりの正論をぶった 記憶はある

 

  まとまらないまま 散会となったが それから間もなくして

  M先輩は 立候補を辞退する意向を示し 納得しない仲間の前に 立った

 

  ‥一本化できる見通しが 立たない状況で 残された時間は 限られています

  まとまらなければ 絶対勝てないことは 明白であり

  さらに 泥沼化していけば たとえ一本化できても 戦いは厳しくなるでしょう

  どちらか一方が 身を引くことが 勝つことにつながると 信じ

  わたしが引こうと 決断しました

  納得はしがたいと 思いますが どうか理解してください‥

  

  そう言うと M先輩は 静かに目をつむり 深々と頭を下げた

  誰も 何も 発しなかった が 誰もが わかっていた

  なぜ M先輩が 引こうと決めたのか

  M先輩を推したリ-ダ-達は 何をしていたのか 何をしているのか

  職場の不満は その一点に 向けられていた

  彼らは 梯子は架けたが 支えるどころか いつの間にか 一人 また一人と

  いなくなっていた

  あの集会のときにも 擁護や主張するリ-ダ-は いなかった 

  M先輩は その時 引くことを 決めたのだと思う 

 

  その後 M先輩は 何もなかったかのように 組織の事務局責任者として 

  選挙戦の先頭に立ち 勝利に貢献した

  

  だが 選挙が終わると 「あとはおまえに任せた」 といって 

  自らの運動に 自ら 幕を降ろした

  それが M先輩が 見せた 最後の意地だったように思う

  

  待っていたかのように 辞令が出て M先輩は 他県へ転勤し

  一度も 前の職場に 帰らぬまま 定年を迎えた 

  

  何度か 話す機会はあったが あの選挙のことは 最後まで 口にしなかった

  全てを 自分の中にしまい込んだまま 年を経て やがて 病との闘いに挑み

  80を過ぎた この春  彼岸へ渡っていった

 

  言いたいことを言えば 楽だったかもしれない 

  だが それで 元に戻ることは絶対ないし 誰も救われることはない

  また 誰もが 正しいと思い 進んでいることを 否定はできない

  全てが その時々の 時代と社会と そして 空気の中で 起きたこと

  人々の記憶に 残るのは いいことだけ 

  悪いことも いいことにして 残っていく

  それが人生 それが人間 

  

  M先輩は 自らの行動で 人の生き様 を 示してくれたと思う

  今でも 先輩に 教えを乞うている 

 

 

      【先輩 そちらは正義が 見えていますか?】

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