やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.60 「‥夢の風景  ~何も言えなくて 夏 3/3」

 

 「~何も言えなくて 夏 3/3」

  

 入口から見えない席で グラスは 空いており

 赤くした まなざしが 心の中まで 見透かしているかのように

 

 「ひさしぶりね‥ この前はありがとう‥」

 出てくる言葉を 探しきれない

 

 「コ-クハイを‥」

 少しの沈黙のあと そのひとは 視点を 前のグラスに向けながら

 「わたし‥」

 そこで言葉が切れ 僕を 待っている

 

 「すみません‥」

  黙って 飲み続ける 

 それは まるで あの晩 先輩と話した夜の コピ-のように 

 同じような空気が漂い 時折 ため息まじりの 声が 忍び寄り 苛立たせた

 ‥いったい 何をやっているのだろう 

 情けないほどに 自分が情けなく   立ち上がるしか 術がない 

 

 「これから 忙しくなるので‥‥ もう逢えないと 思います」 

 それだけ 絞り出すと 店を飛び出した

 裏通りから 近道をして 小学校正門前から 小さな池に続く 小道へ足を運ぶ

 一瞬 牛蛙の鳴き声が止み 通り過ぎた僕の背中に 大声で 笑いかかってくる

 

 それから 先輩は そのひとのことに ふれることはなく 僕も 言わなかった

 そして 翌年の春 先輩に 転勤の辞令が下りた

 

 桜の花がほころび始めた その朝 電車の駅で 見送った

 寮生の中から 手招きすると はにかんだような顔をして 何気なく 

 「俺のことは気にせずに 頑張れよ‥」 だけ 言うと 車内に消えた

 先輩は 知っていたのだと その時 知った

 

 それから そのひとと 逢うことは なかった

 気持ちは 揺らいでいた 

 だが 先輩の想いに 勝てる自信はなく

 そのひとの 想いに 応える勇気もなく

 何もない中で 付き合うだけの 強さも 持ち合わせていなかった

 僕は まだ そのひとと 同じ空気を 吸うことのできない 

 子供だったのだ

 その翌年 僕も 違う町へ転勤し 時間とともに 記憶は遠のき

 振り返ることも 思い出すことも なくなっていった‥  

 

 車のラジオから 「何も言えなくて 夏」の曲が 流れたとき 

 過ぎ去った 50年近く前の出来事と そして 先輩が 目の前に 蘇っていた

 定年まで勤め上げて 数年前の秋 彼岸へ渡っていった 先輩

 あのとき 「頑張れよ」と言ってくれたのに 僕は 逃げた

 いま‥

 何と 返事しよう と 自問自答しながら 空へ 目をそらす 

 桜の朝と 優しい笑顔が 見えたような そんな気がして 目の前が霞んだ

 

                                 (終り)

  

 

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