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~大分市竹中やすらぎ霊園~

霊園風景 その87 「‥土葬について考える」

「‥土葬について考える」

 

    小学校3~4年生の頃だったか  二つ下の従弟が亡くなった時のことを

 思い出しています

 暑い夏の 夕暮れ時 家から山の中腹にあるお墓まで 

 大人たちが数人 白い布に包まれた 棺を 担ぎ

 細い 田んぼのあぜ道を 過ぎていくのです

 その後には 幾人もの人々が列をなして 続き 

 囲む杉林から 見送るかのように ヒグラシの 鳴き声が 渡っていきます…

 

 あの頃までは 地方では 土葬が一般的だったと 思いますが

 時代が移ると スペースや衛生面などから 火葬が主流になっていき

 今日では 一分の地域を除いて 火葬処理されています

 法律上では 「土葬」は可能なのですが 「火葬」と違い 

 特別な許可が必要であり 条例などで禁止している自治体や 許可しない霊園なども

 多くなって 「土葬」することは むつかしくなっています

 

 一方で 私たちは 「人間は土から生まれて 土に還る」と 聞いてきましたし 

 今も その思いを 持っている人は 多くおられます

 火葬はしても いつか「土に還りたい」という願いを お墓で叶えるとしたら 

 どうすればいいのでしょうか

 

 お墓を建てるとき 敷地の基礎は コンクリートを打ちますが

 真ん中辺りに 直径20cm程度の穴を作ります 

 この穴は 納骨室の 湿気などを逃がすために 設けられるのですが

 一方で 古いお墓を解体し遺骨を移す場合に 没後数十年以上経っているいるお骨を

 土に還してあげるためにも 使われています

 「土に還る」願いを叶える 一つの方法だと思います

  

   また、樹木の下で眠る 「樹木墓」の場合も 土に還ることを イメージしており

 やすらぎ霊園の場合 遺骨をさらし袋に移し 土中のコンクリートで囲まれた

 納骨室に収めます 

 四季の巡りとともに 少しづつ 土に還っていきます

 これも 「土に還る」願いに応える 埋葬方法ではないでしょうか

 

 子供の頃 田舎のお墓は 歩いて30分ほどの 山の中腹にありました

 周りには 先祖が植えたものでしょうか 大きなシャクナゲの木が 

 何本もあって  いつも 美しく手入れされ お墓たちも嬉しそうでした

 しかし 親が年老いてくると 雑草の勢いが勝り 道も閉ざされて 

 お墓参りさえ 遠のいていきます 

 お墓を 近くに移すとき 土葬していた 先祖のお骨の 収骨を手伝いました

 「これは祖父」 「それは祖母」

 愛おしげに 語っていた 父のことばが 蘇ってきます

 

  

 

           【秋の一日 紅葉に染まって 樹木墓 】

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 「墓洗う 幾重の霊と 語り合い」

 

 

 

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回顧録 no.87 「‥夢の風景 ~花の東京」 4/5

 
 「~花の東京」 
 4/5

   

       東京在勤 2期目 区切りの4年目に入る

  全国規模の行事は 多忙を極め 帯状疱疹を発症し 胃潰瘍を患う など

  はじめは 不安定だったが やがて ひとつ またひとつと 峠を越えるごとに

  心身とも 鍛えられ この頃には 不安より 自信の方が 前を走っていたし 

  仕事にやりがいや 目標などを見い出し 己の立ち位置や 姿勢なども  理解し

       戸惑うことなく 少しずつだが ゆとりを持って 行動できるようになっていた 

  と 思う…

   

  その年の夏 父に癌が見つかり  あと一年余りの余命と 告げられた

  来年夏 任期は終わるが 九州に帰る想いより 東京で頑張る想いを 

       強くしていたから

  父の病を聞いたとき 「なぜ 今?」  

  一方で 父の最後に 逢えないかもしれない 

  そのことだけが 自分の東京残留を 決断できずにいる

  それは‥

  苦労続きの 厳しい暮らしの中で 必死に育ててくれた 恩であり

  年老いて 気弱になりながらも 傍で支える母への 詫びであり

  どれほど 心で思っていても そこに いないことへの 罪悪感が 付き纏う

  

  だが‥

  九州に戻れば 妻や子供は やっと慣れ親しんだ この地や 友達に 

  さよなら しなければならない

  3人の 胸の内を思うと 口に出すことが できなくて 行ったり来たりする 

  「お父さんだけ 帰れば」 なんてことも あり得ると 思ったりもする  

  年の瀬 妻に悩みを 打ち明けた  年内には 右か左か 決めたかったのだ  

  妻は 迷うことを微塵も見せず 帰ることに 賛成し 

  子供たちも うなずいてくれた

  事前に 察していた妻が 話をしていてくれたらしい

     

        いつだったか 妻に なぜ 九州に帰ることを 賛成したのか 

   聞いたことがある

  「お父さんだから‥‥」

  あとは言わなかったが 朴訥として 無駄なことは言わず 

  いつも 自然体だった父のことを 好きだったのだと思う

    

   そして‥

   平成4年が訪れ  花の東京に 別れを告げる日が 近づいてきた

                               (続く)

 

 

 

      【最後の年末年始 家族で信州を訪れた】

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霊園風景 その86 「‥空向く 百日紅(サルスベリ)」

   「‥空向く 百日紅サルスベリ)」

  

   やすらぎ霊園の 最も高い場所に 配置されているのが 「樹木墓」です 

 一面の芝生と その中に植えられている5種類の花木たちが 迎えてくれます

 

 年が明け 寒さの残る早春に咲き始める 「椿」 

 入れ替わり 凛とした色と香りを届ける 「豊後梅」

 春爛漫の頃 爽やかな白や桃の花開く 「花水木」

 秋の風を受けながら 赤や黄に染まりゆく 「紅葉」

 そして 夏真っ盛りの頃 天に向かって輝く「百日紅

 

 今 夏の青空に一番似合うのが この「百日紅」ではないでしょうか

 写真の百日紅は 並び立つ木々の中での主木です 

 一時期 幹に虫が入って元気をなくし 枯れてしまうことも 覚悟していました が

 専門の業者さんの手厚い治療によって この夏 見事に復活し 

 それはそれは 美しい桃色の花を 披露しています

  花が 長期間咲き続けることから ヒャクジツコウ とも呼ばれる この百日紅

 日向がとても好きで 付けられた名前ともいわれています

 

 今年の夏も 暑い日々が続いています

 霊園内の草木は どこもかしこも 元気をなくし ひと雨欲しいと 訴えているよう

 そんな中 樹木墓をはじめ 園内あちらこちらの 百日紅 だけは 元気いっぱい

 赤や桃 白などの 色彩を広げています

 咲く期間も長く お盆過ぎ頃までは 来園される方々を楽しませてくれます

 

 

 猛暑にも負けず ひたすら青空に向かい 咲き続ける「百日紅」の花言葉

 「あなたを信じる」や「雄弁」などが あります

  確かに 今朝の「百日紅」を 仰ぎ見ますと 「頑張れ! 頑張れ!」 

 と 背中を押されているようで 

 もうちょっと 信じて頑張ってみようかな と 思いたくなるのです

    見事な花の咲きっぷりに由来する 「雄弁」もまた 「百日紅」にふさわしく

 前を向かせてくれるような 花言葉です

 暑さの中でも 元気をくれる「百日紅」は 間違いなく 夏の花木の 主役です

 

 まもなく お盆が来ます…

 

 

            【元気よく 桃色飾りの 花水木】

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         【夏空との対比が とても爽やかな 光景】

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 百日紅 重ねし日々が 遠ざかり」   

 

 

 

 

 

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回顧録 no.86 「‥夢の風景 ~花の東京」 3/5

  「~花の東京」    3/5

  

    気の合う友と 尊敬する先輩に 出会えた幸運

    

   友は 中国地方出身のY君  エネルギッシュな好青年で アウトドア派

   休日には 飛びっきり 大きな外車のSUVを駆って 家族総ぐるみ 山に入る

   一つ年上だった Y君だが はじめは後輩かな?と 思ったほど

   言葉も態度も とても丁寧で 逢った時から 懐かしいような 親しさを覚えた

   仕事でも 嫌な顔ひとつせず 持っている全てを 教示してくれる 貴重な先生

   だった

 

   先輩は 関東出身のSさん 10才ほど上だっただろうか 東京の隣 出身で

   どこか イタリア風な顔立ち 2年間上司として仕えたが 沈着冷静 正当派の

   リ-ダ-

          細身の体だったが 少し低めの声は 心地よく響き そこから 正論が発せられ

   周りが 一目置く 論客として 評価されていた

   素顔は 真面目さと ひょうきんさを 併せ持つ 素晴らしい人格者だった

 

    友と上司のおかげで ようやく 自分の居場所を 見つけられたような 

    心の 変化が表れてきた ことを 振り返っている

    同じ事務所で 同じ空気を吸い 同じ仕事で切磋する  時には飲みに行く

    そんな 日常の繰り返しが 僕を 少しづつ 元気にしてくれた

 

   今 Y君は 彼岸に いる

   出逢ってから2年後に 地元に帰って 間もなく 癌を発症し 

   しばらくの闘病の後 渡っていった

   共に肩を並べた日々は 短かったが 彼から受けた恩は はるかに長い

   「君には 息抜きが必要だ」 と キャンプのノウハウや ガーデニング

   楽しさを教えてくれた  

   キャンプは ものにならなかったが ガーデニングは 僕の活力の源 になって

   いる

   いつか Y君に 報告しなければならない  「おかげで 前を向けたよ」と

    

   そして Sさんは 55を過ぎて職場に戻り 出身地事業所の管理職として 活

   躍した

   九州に帰って数年後 一度 Sさんご夫婦を 迎えたことがある

   「夫婦水入らずの旅行だ!」なんて 笑っていたが 癌が進行する 奥様との 

   最後の旅だった

   そして 独り暮らしになった Sさん本人も 数年前 癌を患った

   だが 今も元気に 一度きりの人生を 謳歌している

   妻を亡くした時 「困ったときは何でも言えよ 俺が再独身の先輩だ」 という

   泣けそうな言葉と 花を  贈ってくれた 

     

   やがて 花の東京 3年目が 過ぎようとしていた‥ 

                                  (続く)

 

      

 

         【仕事の合間に 良く立ち寄っていた 日比谷公園

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霊園風景 その85  「‥雨よ 晴れと 入れ替われ」

  「‥雨よ 晴れと 入れ替われ」

 

    長々と続く 雨模様の日々 梅雨とはいえ 心までもが 暗くなりがちな今日この頃です

  年明けの 新型コロナウイルス感染拡大は 私たちの日常を 塗り替えてしまいましたし

  ようやく 再生の兆しか と期待していたら 今度は 何時 止むとも知れない 空からの水

  かつては 名前も知らなかった 線上降水帯 という名の 招かざるもの 

  次々と襲ってくる 凄まじいほどの 豪雨により

  昨日までの 見慣れた光景が 一夜にして 一日にして 消え失せて

   見るのは 泥にまみれた我が家 田畑の作物たちの 荒れ果てた姿  

  悲しさや絶望感だけが よぎっていきます 

  

  故郷も 電柱は折れ曲がり 膨大な土砂は 道路を横切って 母屋の 寸前まで押し寄せ

  丘の上の 新しい家は 土台のいくつかが 押し流がされ  無残な姿を 晒していました

  幸いに 人的被害は免れました  それは 運 というべき なのかも 知れません

  予測しがたい自然の力 とはいえ ここまで大きな被害が連続してくると 「何十年に一度」 

  の言葉だけでは 理解も 整理もできない 

  過去 非日常の災害であったことが 今は 日常の出来事になっていることを 

  現実として捉え 対応していくことが 求められる時代に来ているのだと 思います

 

  やすらぎ霊園には 各区画やお墓などの 被害は ありませんでした

  それでも 余りの水量の多さに 耐えきれなかったのでしょう

  排水溝の 至る所で 落ち葉や枯れ枝などが 見事なほどに 散乱していましたし

  坂に立つ ムクゲの花木は 南を向いて倒れ ことごとく 蕾が落ちています

  温暖化問題が叫ばれるようになって 久しくなります が この間 世界や日本の

  取り組みは どれほど 進化しているのでしょうか

  豊かさを 追い求めてきた 結果が 今の自然界 とも いえるのではないか

  やすらぎ霊園の 一見 変わらぬ 自然の風景を眺めつつ 

  人間の 業の深さを 考えさせられるのです

      

  これ以上 人々を苦しめる 災害が起きないことを 祈ります

  そして 明日こそ 雨と 晴れとが 入れ替わりますように

 

 

 

              【雨上がりの朝 芝生墓から眺める 風景】

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 「薫風を 襟を広げて 抱き込む」

 

 

 

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回顧録 no.85  「‥夢の風景 ~花の東京」  2/5

  「~花の東京」   2/5

 

        住まいは 板橋区の北だった

    事務所まで 電車で約1時間 乗り換えなし それが魅力で 決めた

    電車一本で   1時間 は 当時としては 破格の好条件だった と 思う  

 

    だが その判断は かなり甘く 現実は 違った

    

    始発駅近くには 大きな集合住宅があり 通常の通勤時間帯の電車は 超満員

    状態

    そして 当時の都営は エアコン付が わずかで ひと車両に3個ほどの扇風

    機が 申し訳程度に 唸り声を上げ続け

    梅雨から夏の時期 すし詰め状態で通う姿は 我ながらに嫌だった

    窓ガラスが割れたり 女性の靴が片方残されていたりの 光景や

    時には いざこざなども 目のあたりにしたことがある

    自分も含めて この時期の この状態は イライラして当たり前の 日常だっ

    たのだ

    それを 必死にこらえて 毎日通勤している人たちには 尊敬の念しかなく

    今は TVで見るばかりだが 混雑する駅頭が出ると 思わず 頭が下がる 

    

    昼食も 嫌な時間だった

    当時 事務所近くには  コンビニも 食堂も少なかった

    若かったから 先輩たちが出た後 最後に 近くに行くのだが 

    空いていることは まれで たいてい30分程度は 外に並ぶことになる

    寒かろうが 暑かろうが  雨でも ひたすら待つか あきらめるしかない

    九州では  並ぶという習慣はなかったから 最初は戸惑った

    慣れればいいのだが どうしても 並ぶその時間が もったいなく

    なるべく 並ばなくていい店を 探す  そんな食堂も あることは あった

    が 味や料金は 言わずもがな だった

 

    救いは 妻と子供たちだった

    当時 長女は10才 次女は6才 九州を離れる時は 友達との別れを 嫌がっ

    たが

    新しい学校にも すぐに慣れ  妻は 初めての東京住まいが 気に入ったら

    しく

    「昨日は池袋 今度は新宿かな?」 なんて  あっという間に 溶け込んでい

    き なぜか 自分だけが 取り残されているような そんな 気がしたこと

    を 覚えている 

    だが 明るい笑顔を見れることで 幸せな一日を 予感させてくれた

    

    そして 時代は 昭和から 平成に変わり  自分にも 少しずつ 変化が現

    れてきた

    各組織の担当者 全国の青年リ-ダ- 机を並べる 諸先輩や同僚 後輩

    そうした人たちとの協同や ふれあいなどを通じて 

    冬から春 春から夏と 四季の景色が 少しずつ 明るく 変りゆくように 

    心の中にも ゆとりのような 遊び場ができ 職場に行くことが 楽しく 

           仕事も 魅力ある存在に 近づいてきてくれた

    

    一年が過ぎ おぼろげにも その道が 見え始め 

    ささやかな 喜びを 日々覚えるようになった 花の東京

                                  (続く)

 

 

                 【事務所から2番目に近い駅 歩いて15分ほど要した】

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お礼   「お盆待ちフェア」 ご来園 ありがとうございました

 

‥♦‥  お 礼 ‥♦‥

             「お盆待ちフェア」

            ありがとうございました

 

 やすらぎ霊園は、7月4日(土)~12日(日)までの9日間、お盆までの納骨やお墓建

   立等を予定されている方々を対象に、「お盆待ちフェア」を実施しました。

 雨模様の日々でしたが、大変多くのお客様に来園いただき、アンケートはもとより、

   申込や契約なども多数頂戴いたしました。

 足元の悪い中にも関わらず、お越しいただいた皆さまにあらためて

    深くお礼申し上げます。

 役職員一同、ご契約いただいた皆さまにいつまでも安心・安全をお届けできますよう 

    に、誠心誠意努めてまいります。

 どうぞ、末永いおつきあいをよろしくお願いいたします。

 皆さま、本当にありがとうございました。

 ・~・~~・~・・~・~~・~・・~・~~・~・・~・~~・~・~・~~・

  

  やすらぎ霊園には「納骨堂」や「展示墓」など、今からでも、お盆の供養に間に合

       うお墓が揃っています。

  毎日(※1)、9時から17時まで営業しています。事前予約も不要です。

  ご都合のいい日に、ご家族おそろいでお越しください。心よりお待ちしています。

 

      ※1) 毎週土曜日は、申込や契約などの受付業務は行っていません。

          ご了承ください。なお、説明や案内等は行っています。

 

 

               【 お客様より高い評価をいただいた 「なごみ」

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