やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.96 「‥夢の風景  ~電話機の向こう」

 ~電話機の向こう

 

       吐息か 溜息か 受話器の向こうから 微かに 響いてくる

  休日の昼下がり 高齢の夫婦で 切り盛りしている 喫茶店

  そこには 小銭を入れる ピンクの電話機が置いてあり

  窓の外 けたましく 行き交う車の音を 恨みながら 

  小銭を 気にしつつ 聞き漏らすまいと 耳をそばだてる

  週に一度の電話デートは ときに 苛立ち ときに 情けなく

        そして ときに 嬉しく

  そうして 紡いできた 幾年月

  酸いも甘いも 噛み分けてきたような 想いも つかの間で 

        紡いだ糸が細くなり 切れてから 5年になる 

   向こうの世界の 電話機と つなぐことができたなら‥

 

  「遅かったよ‥」

  急遽 総会欠席した 先輩への電話に 伝わる言葉

  入院先の 談話室にいるという 

  「あちこちに 転移しててね  長くないそうな」

  泣きそうになるのを 知ってか 知らずか 

  事もなげに 他人事のように 明るい声が 耳に響く

  携帯から流れる 渋い響きの声は 何時もと変わらない 

  けれども ことばと ことばの 間は長く

  辛さや苦しさを 押し隠しているかのように 静寂が続く

  それから3ケ月 ほころび始めた 梅の花に 見送られて 逝った 

  携帯に残る 番号に掛ければ 先輩の声が 聞けそうな気がする‥

 

  構内の壁にもたれて 人目も憚らずに 泣いた

  伝えてくれた 彼も 電話器の向こうで 声を詰まらせる

  長い時間 闘い続け 体は痩せ 声は掠れても 人前に立ち続けた

  その生きざまは 死に負けない 己を 鼓舞するため だったのだろうか

  彼は 見事なまでに 人生を貫いた 真っすぐ 貫いた

  若くして逝った M君の人生は 誰よりも 濃く 深く 充足感に 満ちていて

  瑞々しいほどの 時間だったのだ と思う

  彼らしく 足早に ポケットに コッペパンを忍ばせ

  いつもの 黒い鞄と 茶色い靴を 友達にして 若葉の中へ 消えて行った

  早朝 新橋の駅頭で 西方に頭を垂れ 別れを告げた‥

 

  「心臓が止まりました」

  呆れるほど 無味乾燥的に 医師が告げる

  「いろいろ 手を尽くしましたが‥‥」

  この頃 着任したばかり 若い医師

  何日間 母を診たのか 

  「‥‥」

  「もしもし?」

  もしもし に 交じって 受話器の向こうから 笑い声が聞こえる 入院患者?

  そういう配慮も していないのだろう  

  数日前に会ったとき しっかりしていたのに 

  なぜ が先にきて 苛立ちを 隠せない 自分がいて

  返す言葉も どこか 刺々しい

  だが 96才という享年が 怒りを抑えて 平常心に戻す

  「ありがとうございました」

  よほど 忙しいのか 終わるや否や 電話が切れる 

  あっけない 母の最期を 象徴するかのように

 

 

 

 

f:id:yasuragi-reien:20201218151958j:plain

   

 

 

www.yasuragi-reien.jp