やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.86 「‥夢の風景 ~花の東京」 3/5

  「~花の東京」    3/5

  

    気の合う友と 尊敬する先輩に 出会えた幸運

    

   友は 中国地方出身のY君  エネルギッシュな好青年で アウトドア派

   休日には 飛びっきり 大きな外車のSUVを駆って 家族総ぐるみ 山に入る

   一つ年上だった Y君だが はじめは後輩かな?と 思ったほど

   言葉も態度も とても丁寧で 逢った時から 懐かしいような 親しさを覚えた

   仕事でも 嫌な顔ひとつせず 持っている全てを 教示してくれる 貴重な先生

   だった

 

   先輩は 関東出身のSさん 10才ほど上だっただろうか 東京の隣 出身で

   どこか イタリア風な顔立ち 2年間上司として仕えたが 沈着冷静 正当派の

   リ-ダ-

          細身の体だったが 少し低めの声は 心地よく響き そこから 正論が発せられ

   周りが 一目置く 論客として 評価されていた

   素顔は 真面目さと ひょうきんさを 併せ持つ 素晴らしい人格者だった

 

    友と上司のおかげで ようやく 自分の居場所を 見つけられたような 

    心の 変化が表れてきた ことを 振り返っている

    同じ事務所で 同じ空気を吸い 同じ仕事で切磋する  時には飲みに行く

    そんな 日常の繰り返しが 僕を 少しづつ 元気にしてくれた

 

   今 Y君は 彼岸に いる

   出逢ってから2年後に 地元に帰って 間もなく 癌を発症し 

   しばらくの闘病の後 渡っていった

   共に肩を並べた日々は 短かったが 彼から受けた恩は はるかに長い

   「君には 息抜きが必要だ」 と キャンプのノウハウや ガーデニング

   楽しさを教えてくれた  

   キャンプは ものにならなかったが ガーデニングは 僕の活力の源 になって

   いる

   いつか Y君に 報告しなければならない  「おかげで 前を向けたよ」と

    

   そして Sさんは 55を過ぎて職場に戻り 出身地事業所の管理職として 活

   躍した

   九州に帰って数年後 一度 Sさんご夫婦を 迎えたことがある

   「夫婦水入らずの旅行だ!」なんて 笑っていたが 癌が進行する 奥様との 

   最後の旅だった

   そして 独り暮らしになった Sさん本人も 数年前 癌を患った

   だが 今も元気に 一度きりの人生を 謳歌している

   妻を亡くした時 「困ったときは何でも言えよ 俺が再独身の先輩だ」 という

   泣けそうな言葉と 花を  贈ってくれた 

     

   やがて 花の東京 3年目が 過ぎようとしていた‥ 

                                  (続く)

 

      

 

         【仕事の合間に 良く立ち寄っていた 日比谷公園

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霊園風景 その85  「‥雨よ 晴れと 入れ替われ」

  「‥雨よ 晴れと 入れ替われ」

 

    長々と続く 雨模様の日々 梅雨とはいえ 心までもが 暗くなりがちな今日この頃です

  年明けの 新型コロナウイルス感染拡大は 私たちの日常を 塗り替えてしまいましたし

  ようやく 再生の兆しか と期待していたら 今度は 何時 止むとも知れない 空からの水

  かつては 名前も知らなかった 線上降水帯 という名の 招かざるもの 

  次々と襲ってくる 凄まじいほどの 豪雨により

  昨日までの 見慣れた光景が 一夜にして 一日にして 消え失せて

   見るのは 泥にまみれた我が家 田畑の作物たちの 荒れ果てた姿  

  悲しさや絶望感だけが よぎっていきます 

  

  故郷も 電柱は折れ曲がり 膨大な土砂は 道路を横切って 母屋の 寸前まで押し寄せ

  丘の上の 新しい家は 土台のいくつかが 押し流がされ  無残な姿を 晒していました

  幸いに 人的被害は免れました  それは 運 というべき なのかも 知れません

  予測しがたい自然の力 とはいえ ここまで大きな被害が連続してくると 「何十年に一度」 

  の言葉だけでは 理解も 整理もできない 

  過去 非日常の災害であったことが 今は 日常の出来事になっていることを 

  現実として捉え 対応していくことが 求められる時代に来ているのだと 思います

 

  やすらぎ霊園には 各区画やお墓などの 被害は ありませんでした

  それでも 余りの水量の多さに 耐えきれなかったのでしょう

  排水溝の 至る所で 落ち葉や枯れ枝などが 見事なほどに 散乱していましたし

  坂に立つ ムクゲの花木は 南を向いて倒れ ことごとく 蕾が落ちています

  温暖化問題が叫ばれるようになって 久しくなります が この間 世界や日本の

  取り組みは どれほど 進化しているのでしょうか

  豊かさを 追い求めてきた 結果が 今の自然界 とも いえるのではないか

  やすらぎ霊園の 一見 変わらぬ 自然の風景を眺めつつ 

  人間の 業の深さを 考えさせられるのです

      

  これ以上 人々を苦しめる 災害が起きないことを 祈ります

  そして 明日こそ 雨と 晴れとが 入れ替わりますように

 

 

 

              【雨上がりの朝 芝生墓から眺める 風景】

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 「薫風を 襟を広げて 抱き込む」

 

 

 

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回顧録 no.85  「‥夢の風景 ~花の東京」  2/5

  「~花の東京」   2/5

 

        住まいは 板橋区の北だった

    事務所まで 電車で約1時間 乗り換えなし それが魅力で 決めた

    電車一本で   1時間 は 当時としては 破格の好条件だった と 思う  

 

    だが その判断は かなり甘く 現実は 違った

    

    始発駅近くには 大きな集合住宅があり 通常の通勤時間帯の電車は 超満員

    状態

    そして 当時の都営は エアコン付が わずかで ひと車両に3個ほどの扇風

    機が 申し訳程度に 唸り声を上げ続け

    梅雨から夏の時期 すし詰め状態で通う姿は 我ながらに嫌だった

    窓ガラスが割れたり 女性の靴が片方残されていたりの 光景や

    時には いざこざなども 目のあたりにしたことがある

    自分も含めて この時期の この状態は イライラして当たり前の 日常だっ

    たのだ

    それを 必死にこらえて 毎日通勤している人たちには 尊敬の念しかなく

    今は TVで見るばかりだが 混雑する駅頭が出ると 思わず 頭が下がる 

    

    昼食も 嫌な時間だった

    当時 事務所近くには  コンビニも 食堂も少なかった

    若かったから 先輩たちが出た後 最後に 近くに行くのだが 

    空いていることは まれで たいてい30分程度は 外に並ぶことになる

    寒かろうが 暑かろうが  雨でも ひたすら待つか あきらめるしかない

    九州では  並ぶという習慣はなかったから 最初は戸惑った

    慣れればいいのだが どうしても 並ぶその時間が もったいなく

    なるべく 並ばなくていい店を 探す  そんな食堂も あることは あった

    が 味や料金は 言わずもがな だった

 

    救いは 妻と子供たちだった

    当時 長女は10才 次女は6才 九州を離れる時は 友達との別れを 嫌がっ

    たが

    新しい学校にも すぐに慣れ  妻は 初めての東京住まいが 気に入ったら

    しく

    「昨日は池袋 今度は新宿かな?」 なんて  あっという間に 溶け込んでい

    き なぜか 自分だけが 取り残されているような そんな 気がしたこと

    を 覚えている 

    だが 明るい笑顔を見れることで 幸せな一日を 予感させてくれた

    

    そして 時代は 昭和から 平成に変わり  自分にも 少しずつ 変化が現

    れてきた

    各組織の担当者 全国の青年リ-ダ- 机を並べる 諸先輩や同僚 後輩

    そうした人たちとの協同や ふれあいなどを通じて 

    冬から春 春から夏と 四季の景色が 少しずつ 明るく 変りゆくように 

    心の中にも ゆとりのような 遊び場ができ 職場に行くことが 楽しく 

           仕事も 魅力ある存在に 近づいてきてくれた

    

    一年が過ぎ おぼろげにも その道が 見え始め 

    ささやかな 喜びを 日々覚えるようになった 花の東京

                                  (続く)

 

 

                 【事務所から2番目に近い駅 歩いて15分ほど要した】

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お礼   「お盆待ちフェア」 ご来園 ありがとうございました

 

‥♦‥  お 礼 ‥♦‥

             「お盆待ちフェア」

            ありがとうございました

 

 やすらぎ霊園は、7月4日(土)~12日(日)までの9日間、お盆までの納骨やお墓建

   立等を予定されている方々を対象に、「お盆待ちフェア」を実施しました。

 雨模様の日々でしたが、大変多くのお客様に来園いただき、アンケートはもとより、

   申込や契約なども多数頂戴いたしました。

 足元の悪い中にも関わらず、お越しいただいた皆さまにあらためて

    深くお礼申し上げます。

 役職員一同、ご契約いただいた皆さまにいつまでも安心・安全をお届けできますよう 

    に、誠心誠意努めてまいります。

 どうぞ、末永いおつきあいをよろしくお願いいたします。

 皆さま、本当にありがとうございました。

 ・~・~~・~・・~・~~・~・・~・~~・~・・~・~~・~・~・~~・

  

  やすらぎ霊園には「納骨堂」や「展示墓」など、今からでも、お盆の供養に間に合

       うお墓が揃っています。

  毎日(※1)、9時から17時まで営業しています。事前予約も不要です。

  ご都合のいい日に、ご家族おそろいでお越しください。心よりお待ちしています。

 

      ※1) 毎週土曜日は、申込や契約などの受付業務は行っていません。

          ご了承ください。なお、説明や案内等は行っています。

 

 

               【 お客様より高い評価をいただいた 「なごみ」

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霊園風景 その84  「‥この朝の光景」

 「‥この朝の光景」

 

        【青空を背景に 桃色のムクゲが咲き誇ります】

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  梅雨の中休み 晴れた朝空の下  霊園内光景の ひとコマです

  階段を挟んで 自由墓や 規格墓の区画が整然と並び 向かって右側には 

  新しいお墓 「なごみ」 の区画が広がります

  階段は6段ありますが 横の移動は全て バリアフリ-になっており

  車椅子でも 安心して移動できます

  写真の光景になるまで 5年ほど 要しました

  区画の増設から 花木や芝生の配置 そして バリアフリ-化 と 

  少しづつ 手を加え 青空にふさわしい光景に 見えるようになりました

 

  これから 10年 20年 さらにず-っと その先まで この光景を 

  守っていかなければなりません  

  花木も 芝生も みんな生きていますから

  南向きの 明るい区画だけに 一日中太陽が 容赦なく 降り注ぎます

  特に 朝 水道の蛇口から お湯が出るほどの 夏の厳しさは 花木や芝生にも 

  過酷な試練を 与え続けます

  それを 手助けするのが 毎日見回っている 霊園の職員さんたちや 

  管理してくれる業者さん達です 

  彼らの 地道な協力のおかげで 何度も 厳しい夏を 乗り越えてきました

  

  お墓は 建てることの方に 神経が いきがちですが 

  同じくらい 大切なことが あります

  建てたときの 周りの光景が これから いつまでも 維持されるのか 

  しっかり 確認しなければなりません

  せっかく お墓を建てたのに 短い期間に 周りの花や木が枯れ 雑草がはびこっていく 

  そんな光景は 想像したくありません

  いつまでも 故人を大切に 見守り続けることができる 美しい環境づくりこそが

  公園墓地をめざす やすらぎ霊園の 変わらぬ基本姿勢です 

 

  四季の花と 鮮やかな緑に包まれて 多くの御霊が 安らかに眠れますように

  ご先祖や大切な人に 逢いに来られるご家族が 安心して お参りできますように

  やすらぎ霊園は これからも 皆さまに 愛でられる霊園づくりを 進めていきます

  どうぞ いつでも やすらぎ霊園へ お越し下さい 

                

 

 

f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 「風鈴の 音のみ聞こえ 村に住む」

 

 

 

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霊園からのお願い  「‥飼い主募集しています」

 

  【飼い主募集しています】

  

     3月末に、突然職場訪問した生後10カ月くらいの、賢い男の子。

   ワクチンや去勢手術は済みました。

   できれば、室内で一匹飼いしていただける方を探しています。

   気にしていただけましたら、電話等でご連絡ください。

   直接、事務所までおいでいただいてもかまいません。

   どうか、よろしくお願いいたします。

 

   *やすらぎ霊園 ☎:097(598)0100

           (毎日9時~17時まで営業しています)

 

             【名前は きぃちゃん です】

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回顧録 no.84 「‥夢の風景 ~花の東京 」  1/5

   「~花の東京」      1/5

     

     初冬の 日曜日の午後 薄曇りの空の下 百貨店の屋上 ざわめきの中から

     離れ

     ひとり 端のベンチで 時間を持て余している

              妻と子供たちは 買い物に夢中で おそらく ここにいることすら 忘れて

     いのだろう

     そんな 嫌味のひとつも 呟きたいほど この街の 乾燥さに 苛立つ自分

     がいた

 

     転勤して 半年近く 妻子は 喜々としている様子が あからさまだったが

     自分だけ いつまでも 東京という街の 空気に慣れなかった

     仕事は 昼夜の境なく忙しく 頻繁にある地方出張は 気が抜けず 

     外に出れば 朝から夜まで 容赦ないほどの 人の波が 押し寄せてくる

     歩いていても  電車に乗っていても  食事の時でさえ  

     当たり前のように せかされている 被害者的意識が いつも付きまとって

     いた

 

     毎日が 憂欝で 味のない乾燥した日々にしか 思えなかった 理由が ま

     だある 

     この道を選んだとはいえ 喜んで来たものでは なく

     トップから 毎日のように懇願され 泣き落としに あい  

     出口を塞がれた 自分には 「わかりました」 しか 残っていなかった

     そして‥

     自分のどこかに 一度は東京 という 希望があったことも また事実で

     その 甘さも許せないことが重なり 何時も 足元が 震えているような感

     覚から

     抜け出すことができなかったのだ

 

     街の景色も 好きになれなかった

     夜の華やかさに 反比例して  朝の汚れが 色濃く映り

     申し訳程度に立つ 街並みの木々は  色褪せているようで

     雨上がりで 澄んでいるはずの青空は  ビル陣が 覆い尽くし

     何かに追われるように 気ぜわしく 街を歩く人々との 呼吸が合わず 

     特に 駅舎内の 我先に の 速さには ついて行けなかった

 

     だが 送り出してくれた人々の期待や 先輩たちの功績など 引くに引けな

     い 現実 

     妻を説得して 家族で転居してきたことにも 応えなければならない 現実

     そして 病がちだった父と母を 故郷に残して 遠く離れた 現実

     そうした もろもろの思いが 輻輳すれば 前を向くしかなかった

     いつまで 続くのか  見えない道程を 手探りで辿っていく 花の東京

                                    (続く)

 

 

           【4年住んだ 真東向きの賃貸住宅】f:id:yasuragi-reien:20200705143726j:plain

 

   

   

 

 

 

 

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