やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

霊園風景 その52  「‥この春の 青空めざす 山桜」

「‥この春の 青空めざす 山桜」

 

   いつもどおりに 訪れてくれる 春

 四季の移り変わりの中で いちばん 心ときめく   とき

 辛いことや 苦しいことは 避けられないけれど

 そんなことも なぜか 少しだけやわらいで また 頑張ろう と

 そして 何か いいことがあるかもしれない と 希望を 抱かせてくれるような

 ゆっくりと心が満ちて 彼方まで 広がっていくような 温かさに 溢れています

 

 道すがらに望む 遠山には 新緑とともに 白い綿を被ったような 山桜の波が

 霞の中に 浮かんでいます

 遥かな 遥かな  昔から 届けてくれた春の風景を 今年も 届けてくれました

 最後の平成の春を 祝ってくれているかのように 美しく 輝いてくれました

 

 やすらぎ霊園にも 敷地を取り囲むように 多くの山桜があります

 造成する はるか前から この地に根付き 少しずつ成長を続けてきました

 特に 大きいのが 芝生墓の傍にそびえる 樹齢150年ほどの山桜です

 寒緋桜や陽光桜に続いて 静かに ゆっくりと春を連れてきて

 いっときの間 樹木の枝いっぱい 白色に染まります

 

    近くで見ることのできる 染井吉野は 人の手で植えられ 増えてきたもの

 ですから 道のあるところにしか 咲いていませんが

 山桜は 遥かな昔から その地で生まれ その地で育ち その地で 

 花をつけてきました 

 向かいに見える山々に 咲き誇る山桜は 己の力のみで 生き抜いてきたのだと

 思う時 計り知れぬ 強さを たくましさを 愛おしさを 感じるのです 

 

 だからこそ やっと咲かせた花びらが 風吹かれて 舞い散るさまは 

 まるで ひとつの時代が 終るかのように 

 ことさら 寂しく思えてしまうのかも 知れません

 同じ春を告げる梅花の 散るときと比べても 桜は ずっとずっと そう思えます

 咲き始めから 満開 そして舞い散っていく その間が短いため なのでしょうか

 

    山桜の見えるところで 生まれて 

   山桜の見えるところで 散っていけたら

    それだけで 幸せな人生になるような 気がします

 

 

    【青空めがけて 満開の花を 誇示する 山桜の一瞬の 表情です】  

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain「あしひきの 山の間照らす 桜花 この春雨に 散りゆかむかも」

      

 

 

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回顧録 no.51  「‥夢の光景 ~赤いコートのMさん  3/3 」

 「~赤いコートのMさん 3/3 」

 

   それから 二人は 喋ることもなく 弁当を食べ続けていた

           春の雲が 静かに流れ 晴れと曇りが 交互に届いてくる 高原

   そこから見える 空は 限りなく広く そして 

   長い髪の Mさんの横顔は とても美しかった  

   

   なぜ あの時 僕は そこにいたのだろうか と

   今でも 振り返ることがある

   例えば‥

   

   仕事中のお父さんを 避けた後の Mさんの表情に ひかれて

   冷たい季節から 暖かい春へ 変わる季節に 華やぐ心が相まって

   違う 中学校へ 通うことになる 別れの 言葉を言いたくて

   

   だが そうしたことは いわば付録であって 本当の理由ではない 

   本当は‥

   

   当時 僕の父も 村の建設会社で 汗と泥にまみれて 働いており

   何となく Mさんを より身近に感じていて だから

   朝の あのことが 強烈に残っていたのだ 

   そして‥ 

   穏やかで 笑みの優しい Mさんのことが いつも 心の中にあって

   子ども心に 僕を Mさんの隣に 導いたのではないか 

    

   Mさんと 再会したのは 30歳を過ぎた頃 小学校廃校式典の 会場だった

   隣の川を隔てて ゆるやかな山の 斜面には 紅葉が 鮮やかに 秋を祝い

   そこに 表れたMさんは 眩いほどの真っ赤なコートをまとって 

   それは 周りの風景と 見事なまでに 調和していた

   そして あの時の 言葉どおり  

   看護師として働き  医師の奥さんになっていた

 

   一緒に 弁当を食べたときのことを Mさんは 覚えていて

   驚いた記憶と 嬉しかった記憶がある と 言ってくれた

   僕も あのことがあってから 少しだけ 強くなった 気がする 

   いくつも 苦しさや辛さは あったけれど どこかに あの時の 暖かさや 

           温もりが 残っていて それが 僕を守り 励まし続けてくれていた

   子どもの頃の ささいな 出来事だった 

   だけど 

   とても大切な時間だったのだ と 思うのだ

   

 

   Mさんは 今も 現役看護師として 一線に立っている                                   

                                   (終り) 

 

 

   

    

    

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霊園風景 その51 「‥春の詩  寒緋桜と陽光桜 そして山桜」

 

 「‥春の詩 寒緋桜と陽光桜 そして山桜」

 

  やすらぎ霊園にも 一気に 暖かさが増し 桜たちが 美しさを競う春の到来です

  

  まず 濃い赤色の花を 披露してくれるのが 寒緋桜

  その花形は どこまでも 慎ましく うつむき加減に 咲き誇ります

       台湾や中国を原産としますが 野生化している沖縄では 桜といえば 

  この寒緋桜のことをいいます

  別名 緋寒桜ともいいますが 彼岸桜と 呼び名が似通っているため

  寒緋桜と称されることが 多くなっています

 

         【霊園内で真っ先に咲いてくれる 寒緋桜】      

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  次に ピンク色の大きな花びらを 誇示するかのように 咲き出すのが 陽光桜

  この桜は 交雑した日本原産の園芸品種で 山桜より 少し早く開花してきます

  特徴は 病気に強いこと そして 樹高が低いこと 秋の紅葉が美しいこと 

  いいことづくめの 陽光桜は 庭などに植えることも できます

 

         【納骨堂や永代供養墓の傍で輝く 陽光桜】

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  そして やすらぎ霊園を取り囲んで 彩りを添えてくれるのが 山桜です

  明治時代に ソメイヨシノが登場するまでは 桜といえば この山桜でした

  日本に古来から自生しており 日本人の象徴的存在として 愛され 親しまれ

  和歌にも多く詠まれてきました

  開花と一緒に若葉も開いて その色模様を楽しめて 病気に強く 

  500年を超える桜も 現存するなど 寿命が長く 秋の紅葉も美しい

  長所だらけのようですが 大木となるため 庭に植えるのには 不向きです

  吉野の山桜のように この桜は 少し遠くから 眺めるのがふさわしい花 と

  思います 

       【樹齢150年ほどの山桜 芝生墓に降り注いでいます】

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  やすらぎ霊園も春本番を迎えました。

  どうぞ、 お休みの一日ご家族おそろいでお越し下さい。

  事務所にお寄りいただければ、ご説明やご案内をさせていただきます。

  役職員一同、心よりお待ちいたしております。

 

 

 

 

 

f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 「桜花 この世とあの世で 共に見る」 

    

 

 

 

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回顧録 no.50 「‥夢の風景  ~赤いコートのMさん 2/3」

 

「~赤いコートのMさん 2/3」

 

  秋のうちにきれいに刈られた 広い高原は 

  ちょうど 真ん中あたりに 小屋があり 春から秋にかけては

  牛舎として使われていたが 春浅いその時期は まだ 空家で

  種々雑多の農具が 詰め込まれていた

 

  その小屋の入口に 担任の先生が腰を下ろし 囲むように みんなが座る 

  一人ずつ 小学校の思い出や 将来の夢などを 語り合い 

  僕は とにかく 街で働きたい 外に出たい とだけ しゃべった記憶がある

  その頃 村に入る情報は 限られていたが 僕には 理髪屋のタカさん  という

  街のことなら 何でも知っている 友達がいた

  街の着飾った華やかさを聞く時 もう一人の僕は 街で輝いていたのだ

 

  Mさんの 番が来た

  静かに立ち上がると ゆっくりと しっかりした口調で 

  「看護婦さんになります」‥

  それだけしゃべると また静かに 座り

  先生は 

  「夢 かなえてね」

  と 優しい声で 笑顔と励ましを 贈った

  

  Mさんのお母さんは 体が弱く 入退院を繰り返しており

  家事の多くは Mさんが やっていたのだと 思う

  多くが 手作業だった時代 村では 子供も貴重な 働き手だったから

  Mさんが家事をしていることは 不思議ではなかったが それでも

  あかぎれした手 や 梳いていない髪 昨日と同じ服 など

  僕たち以上に Mさんは働いていたのだ

 

  昼食時間 友達の呼ぶ声を 聞き流し 

  僕は 無意識に Mさんを探した 

  小屋から 少し離れた なだらかな斜面に立つ 大きな櫟の木の下   

  幹に背中を預けて ひとり 視線をまっすぐ 太陽と未来に向けていた

 

  黙って 隣に立った

  一瞬 驚いた顔をしたが 「フッ‥」と少しだけ 微笑み 歓迎するような

  しぐさを見せた

  その頃 同級生の男女が 二人きりになる 時間や機会など なかった し

  僕も その時が初めてだったような 気がする

  それでも なぜか そこに座る と いう想いが強く  

  いつの間にか Mさんの横で 足を伸ばしていた

  

  友達の笑い声や視線を 浴びながら 黙って弁当箱を開いた

  案の定 そこには おいなりさんだけ ぎゅうぎゅうに詰められていた

  母に 「おいなりさん」と 言っていたから 正直に 入れてくれていた

        と 言うより 他には 入れるものがなかったのだろう

 

  Mさんの 弁当箱には 巻き寿司が いっぱいだった

  「自分で作ったの‥」

  聞く前に つぶやいた

                                (続く)

 

 

   

    

 

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2019 「春のお彼岸フェア」開催です

 

   「春のお彼岸フェア」ご案内

         ‥‥3月16日(土)から  24日(日)まで‥‥

                                    

        「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、今年の冬は暖冬といわれて

     いつもにない穏やかな日が続きました。それでも春は待ち遠しい季節です。

  椿や梅の満開が過ぎ、桜の便りが届きはじめますと、いつものように心が踊ります。

  

  そして、3月・弥生は「春のお彼岸」の月でもあります。

  昔から、極楽浄土は西の彼方にあると信じられて、太陽が真東から昇り、真西に

  沈む日を「春分秋分」として、「彼岸の日」と呼ぶようになりました。

  今年の春は21日(木)がその日にあたり、この日を中心に一般には彼岸会と呼ば

  れる法要やお墓参りをするのが慣例になっており、やすらぎ霊園にも多くのご家族

  が、供花やお供え物を携えて見えられます。

  

       想いはそれぞれにありますが、彼岸へ渡った故人を偲び、今を生きる私たちが先 

  祖に感謝の念を捧げる、気づきの機会としても、これからも大切にしていきたいと

  思います。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

 やすらぎ霊園では、3月16日(土)から24日(日)まで、

 「春のお彼岸フェア」催いたします。

 フェアでは、建立条件の良い区画や展示墓の特別販売、墓石と区画のセット販売など、いくつもの感謝企画をご用意しました。

 また、20日(水)から24日(日)までの5日間は、墓石店のプロによる無料の

「お墓なんでも相談会」を開催します。どなたでもお気軽にお越しください。 

 和菓子や記念品等も準備して皆様のお越しを役職員一同、心よりお待ちしています。

 

  ※詳しくは、ホ-ムペ-ジをご覧ください。

http://www.yasuragi-reien.jp/2019_springfair.pdf

 

    

  ※お知らせ

 その1   ‥‥ 20日(水)~24日(日)の5日間(毎日9時~17時)

  「お墓なんでも相談会」 お墓のプロが無料でお答えしします。           

                      どなたでもお気軽にどうぞ。                       

                                                                       

   その2 ‥‥    20日(水)~24日(日)の5日間(毎日9時~17時)

           「供花」の特価販売   市価よりお安く販売します。

                        数に限りがあります。

 

   その3   ‥‥ 3月21日(木)11時~ (30分程度)

           お寺さま(浄雲寺・浄土真宗)による合同法要

                  (納骨堂・永代供養墓・樹木墓)

                     多少、時間が前後することがあります。

 

 

 

 

 

                               【陽春のころ 霞たなびいて 山桜の便り】

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霊園風景 その50 「‥春を呼ぶ  サンシュユの花」

 

   「‥春を呼ぶ サンシュユの花」

 

   芝生墓のすぐ下 斜面の一角に 植えられているのが サンシュユの花木です

   寒さが和らぐ 2月下旬頃になりますと 枯れたかのような  

   枝のあちこちから 少しずつ 鮮やかな 黄色い花々が 映えてきます

   育てやすく 放置すれば 6mほどまで 成長する花木で

   公園などで よく目にることがあります 

   

   サンシュユという名前は 中国名 「山茱萸」を 音読みしたもので

   和名は 「ハルコガネバナ(春小金花)」

   こちらのほうが 似合っているような?   

 

   サンシュユは 葉が芽吹く前に 咲いてくれますから  

   遠くからでも 黄金色は とても目立ち

   満開の時は 晴れやかに 春到来を 思わせてくれるのです

 

   朝鮮半島を原産とする ミズキ科に属する この花木は 

   もともと 江戸時代に薬用として 持ち込まれたと いわれています

   秋の紅葉とともに 真っ赤に熟した果実は 食用にもなります

   また  種を取り除いて 乾せた果実は 今も 薬用として 用いられています

   コンビニなどで 売られている 滋養強壮剤にも 含まれているそうです

 

   サンシュユ花言葉は 「持続」 や 「忍耐」 「強健」 など

   まさしく 薬用花木を イメージした 言葉になっています

 

   ちなみに 宮崎県民謡「ひえつき節」の 歌詞にある「庭のさんしゅうの木~」  

   の 「さんしゅう」は 「山椒」のことで サンシュユとは 違うようです

 

   これから 暖かくなるにつれ 黄色の鮮やかさが 増していき そして

   散る頃には 

   少しずつ 桜の季節へ 包まれていきます

 

 

 

           【青空へ 黄花が輝く サンシュユの春】  

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f:id:yasuragi-reien:20170207092834j:plain 「そら母へ 届けとサンシュユ 花広げ」

 

 

 

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回顧録 no.49 「‥夢の風景  ~赤いコ-トのMさん 1/3」

 

 「‥夢の風景 ~赤いコートのMさん  1/3」

 

  

        小学6年生の春 卒業記念行事として 同級生で 遠足に行った  

 

  舗装されていない 狭い道を 一列になって 歩いて行くのだが

  唸るような音を立てて 時折り通る トラックは 

  砂利を蹴散らし 埃を巻き上げる 

  その度に 僕たちは 道路に背を向けて 避難した

   

  その日は 晴れ渡っており 道の上や下に へばりつくような 

  小さな畑たちの周りには 菜の花が咲き

  僅かに作られている 田んぼにも スミレの花模様が 広がっている

  土地のほとんどを山々が占める 村は 多くが林業に携わり

  少ない田畑から採れる農作物は 家族が食べるほど だったと 思う 

 

  途中 道路は大きくカ-ブしており それが曲がり終わる ころ

  道の上 竹藪が生い茂る傍に 平屋の家があった

  庭には 大きな椿の木がそびえ 早春の頃には 道路一面 白い花を散らして

  地域の人たちは 「椿ん家(つばきんち)」と 呼んでおり

  それがMさんの家だった 

  

  Mさんの 苗字は 村で 一軒だけ 

  年の離れた兄さんは すでに村を出ており 父母との3人暮らしで

  父さんは 道路の補修を請け負い 毎日のように 村内のどこかで

  仕事をしていた

  

  単車の荷台やあちこちに 用具を括り付け 器用に運転する姿や 

  晴れの日も 雨の日も 働く姿を 何度も見ていた

  

   その日の 道すがら お父さんに 出逢った

  小さい体つきで 頭にタオルを巻き付け ザクッ ザクッ と

  一心不乱の 腰つきで 車の轍の跡を 直していた 

 

  先生の 「おはようございます」に続き 同級生たちが声を出し

  父さんも 汗と土にまみれた 笑顔で挨拶を交わした

  その前を過ぎると 笑い声が聞こえ Mさんに視線を移している 子もいた

  

  Mさんは 黙って 下を向き 唇を閉じたまま 足早に 父さんの前を

  横切り しばらくは 顔を上げなかった

 

  Mさんは 泣き笑いのような表情で 僕に 視線を向け

  僕は とっさに 笑った

  そのときは そうすることしか 思い浮かばなかったのだ

                               (続く)  

 

  

 

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