回顧録 no.95 「‥夢の風景 ~その先の 海」
「~その先の 海」
寮に 数人の後輩が入ってきて 一人の子が 同室になった
K君は 小柄だったが 南の出身らしく 色黒で筋肉質 優しい眼をした
真面目な子で 少し 首をかしげて喋る癖があり
笑うと 片方にだけ 小さなえくぼができた
しばらくすると ふるさとのことを 話してくれるようになり
田舎では ずっと お母さんと 二人暮らし
今は 独りで 漁業関係の仕事をしているらしい
お父さんのことは 言わなかったし 聞かなかった
彼から出る 方言なまりの話題は 海のことが多く 何でも詳しかった
活き活きと 鉄砲玉のような 勢いで 引きも切らずに 話してくる
本当に 海が 好きだったのだ
大きな川を 海と疑わず 育ってきた僕には どんな話も 面白く
いつの間にか 彼のことを 先生と呼ぶようになっており ある日から
彼は 名実ともに 先生になった
泳ぎが得意でなかった 僕は 一度 川で溺れかかったことがあり
思い切って k君に 教えを乞うたのだ
その夏は 休みがあれば 近くの海に行き 先生の手ほどきを受け
終わるころには 何とか 形だけは さまになっていたような 気がする
お礼とは いかないが お返しに K君に お酒を教えた
歓迎会の時 すぐ つぶれていた姿を 見ていたから
一人前にしようと あれこれ やってみたが 結局 駄目だった
その副産物ではないが なぜか 焼き鳥が 好きになった
海で育ったK君は あまり肉を食べなかったが 鳥だけは例外のようで
飲む傍で 美味しそうに 何本もほおばっていた
あの 幸せそうな 笑顔は 今でも 記憶に残っている
2年間の研修が終わると K君は南九州へ 帰っていった
それから 5年ほどして K君の訃報が届く‥
海で亡くなったという 知らせは 信じられず なぜ?とは 聞けなった
あれほど 泳ぎが得意だった 彼のことだから よほどのことがあったのだ
何らかの事故だったのだ そう思いたかったし 今でも そう思っている
新しい世界の海で K君は 泳げない人に 教えている
その先の海で 間違いなく 手取り 足取り 教えている
K君によく似ていた あのお母さんは 元気だろうか‥