やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.100  「‥夢の風景 ~館長との 別れと 出逢い」

 


  「~館長との 別れと 出逢い」

 

        その朝は 冬一番の 寒さだった

  平日だったから 時間帯を過ぎると 外にいる 住民は少なく

  だから 発見されるまでに 時間がかかりすぎて 

  その時には すでに 亡くなっていた という

  心臓に持病があり 自分でも 特に 気をつけていたと 聞いていたが

  この時期 どうしても 手入れしなければならない 庭木があって

  奥さんが 出かけた後 庭に出てて 発作に襲われたらしい

  その時 どのような記憶が よぎったのだろうか

 

  通勤時 家の前を通ると いつも庭先で 花木の手入れをしていた

  几帳面な性格らしく どの花木も 見事なまでに手入れて 美しい庭だった

  始めは 挨拶を交わす程度 少しして 花木のはなし 次に 趣味など

  その次は 休日の懇談 と 距離が 近づいていく

  学校長まで務め 退職後は 請われて 団地内公民館の 館長を 引き受けていた

  いつも 優しい笑顔 とつとつと 語る 話題は とても豊富で

  苦労して 今がある そんな人らしく 示唆に富んだ話には 

  どれほど気づかされ 救われたか

        時を忘れた頃 やがて 妻が 苦笑いしながら 迎えに来る

  

  退職後 しばらくは 近くに土地を借りて 野菜などをつくっていたが

  心臓への負担や 足腰も弱くなって と やめた後は 庭の手入れが 日課だった

  ちょうどその頃 僕らも 団地内の空き地を借り 野菜づくりを 始めていたから

  館長に 教えを請うた 

  時々 様子見に来ては 手取り足取り 指導する  

  使わなくなった 耕運機をはじめ 必要な道具は ほとんど 無償で提供してくれ 

       お礼に届ける 野菜を見て 評価するのも 日課になり  

       3回に1回は 「うーん これは?」 と 首をかしげるのだ

       そんな 温かい交流が ずっと 続くと思っていた

  

   一人残された奥さんは 一周忌を終えると 親の介護もあって その家を去り

  直ぐに買い手がついて 新しい家族が入った

  館長が 愛情込めて 手入れしていた庭木は 少しずつ 色や形を変え

  無残な姿を さらし始めると いつの間にか 更地になり 

  やがて 物干し台が 庭を占めるようになった

    

  そうやって 目の前から 館長の面影が 亡くなっていき

  褒めてくれる人が いなくなった 野菜づくりも 足が遠のいて 

  意識して 記憶を 消してしまおうと していた  

  それでも‥

  この季節になると 館長が 記憶の向こうから 帰ってきて

  顔を くしゃくしゃにして 笑いながら 「これが楽しくてね~」 なんて

  晩酌の 手真似をするのだ 

  僕たちは 時々夢で逢い 一緒に 野菜を つくっている‥‥

 

 

 

  

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