やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.63 「‥夢の風景  ~雪の上の霜」

 

 「~雪の上の霜」

  

  「良人は まれな才能を持っている 学問 武芸 どれをとっても

   第一級の師範になれる 

   だが 自分のことよりひとの立場を考える 非常に謙遜で 涙もろく

   自分の生活が楽な時は 世間の人たちにすまないと 思うし

   自分の苦しいときは ひとは もっと苦しいだろうと 思う

   だから 良人は出世はできない 良人の性質が変わらない限り 

   決して栄達は望めない

           けれども 良人は いつも誰かを幸福にしている

   当然 自分が占めるべき席 自分が取っていい物 それらを いつも

   他に譲ってしまう 良人には稀な能力があり しかも 

   その能力で いつも 誰かに幸福を分けている  ‥‥これで良いのだ」

 

  「わたしは これで幸せです これ以上のものは 決して 望んでいないのです」

 

   

   武芸抜群の力量を持ちながら 人を押しのけてまで 

   自分の座を 取ることも 守ることもできない 

   どこまでも善意ゆえに 流浪の生活を続ける浪人と

   それに輪をかけたような 真っ白い心を持った妻

   苦しさを 苦しさとせず 楽しみに替える心を持った 夫婦の物語

    

   山本周五郎が 昭和27年に書き上げた 時代小説 「雪の上の霜」

   の一節である

 

   ひと それぞれに 織り込んでいく人生道 

   こういう人生を 歩みたい と 願いながら

   こういう人生は 歩めない と あきらめる

   この物語のような 生き方は 果たして できるのだろうか

   わが身を落としてまで 人様を幸せにできるか 

   人様のためなら わが身は捨ててもいいのか

   そんなことを 思いつつ 自分は と 問いかけてみる 

   それでも 他人の幸せのために 一生懸命 尽くし続ける 

   人々は まちがいなく存在する

 

   

   日々の暮らしの中で 人様のことを 思いやる余裕も 余力もない 

   今 生きていくだけで いっぱい いっぱい だと 

   だけれど‥‥

   自分を可愛がる その何分の一でも 何十分の一でもいい 

   誰かのために 尽くすこと

   ささやかで わずか だけれども その瞬間に 笑みがこぼれる

   そんな 人生を創ることも できるのではないか 

   

   田舎に帰り 

   作り手のいない 荒畑の草を刈る

   見る人のいない 紫陽花の花を摘む

   捕り手のいない 栗の実を拾う

   誰かの 何かの 役に立つかも 知れないな

   などと 甘い理由をつけて ひとり 黙々と 下を向く

 

   夏から秋へ 季節が移り替わる頃に 

   あれこれと 思い巡らしていたら 浮かんできた 

   雪の上の霜 という 無駄なこと  無駄な努力 のように見えること に

   どれだけの 意味や価値があるのか と 問う ひととき

 

 

    

 

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