霊園風景 その33 「‥小さき ネジバナ」
「‥小さき ネジバナ」
見落としてしまいそうな 小さなピンクの花が 可愛らしい ネジバナ
雑草と一緒に すぐに 刈られてしまうため あまり目にすることが
ありませんが 6月から7月にかけて 可憐な姿を 見せてくれます
写真は 霊園内の空き区画 あちらこちらに 咲いていた ネジバナです
何か気づきませんか?
そう よく見ると 手前の花と 一番奥の花 巻き方がちがいます
この花の特性で 右巻きと 左巻きがあり その比率は
だいたい1対1 だそうです
これでも れっきとしたランの仲間で 街中の公園などでも よく見られますが
細くて 短いために 大きな草に隠れてしまい 見落としてしまいそうな
大人しい花
そして この花 個体の寿命は とても短いと いわれています
今年 いっぱい咲いてくれたとしても 来年は皆無 ということもあるそうで
ですから 鉢栽培には あまり向かないとのこと
気まぐれと言えば 気まぐれですが なにか それも いいなあ と
思ってしまいます
気の向くままに 好きなところで 花を咲かせる
それは 人の生き方としても どこか憧れるところが あります
映画でいえば フーテンの寅さん のよう
ネジバナの別名は レジレバナや ネジリバナ あるいは ねじれ草 など
花言葉は 思慕
思い慕う気持ちを ネジバナに例えて 古くは万葉集にも 詠われています
このネジバナ 来年も ここで 咲いてくれるのでしょうか
「ネジバナを 避けて草刈る 夜明けかな」
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回顧録 no.34 「‥ 隣国の父 Kさん」
「‥ 隣国の父 Kさん」
Kさんは 隣の国の 企業に勤める 役員で
相互交流で 団長として来日した際 担当になり 1週間ほどお世話したが
はじめから おわりまで 見事なまでの 紳士だった
「わたしは あまり飲めませんので お手柔らかにお願いします」
多くの場合 団長が 外交辞令として 使う言葉であったから
無理に 勧めてみたが 本当に飲めない人で 僅かの量で 真っ赤になった
日本に来るのは 初めてといい 特に 古いお寺や神社に 興味を持ち
公式行事の合間をぬっては 「行きましょう」と 誘ってくれ
長く ひとりで 頭を垂れ 歴史と時間を 共有していた
日本語が 口から出ることは 公の場で なかったが 通訳する前から
理解していたように感じたし 二人の時の ありがとう や おはようございます
は 日本人より 美しい日本語だった
日本が 統治していた頃 Kさんは 中学生くらいか
おそらく 言いようもない 辛い思いや 出来事が ありすぎて
刻まれた しわの中で 静かに見開く眼と 時々の表情が それを物語っていた
贅肉の全くない 少し腰を曲げて歩く姿 白髪で ポマ-ドの匂う髪
お酒を飲むときの ゆっくりとした しぐさ 木訥とした やさしい笑顔
その面影は ふるさとで 暮らす父に 重なり
僅かな時間だったが そこに もうひとり 父がいる そんな 気がした
父も 戦時中のことは 全く触れることはなく 出来事も想いも
心の奥に 仕舞い込み 垣間見えるのは
雨の日に 縁側で 庭を見るともなしに 煙草をくゆらすとき
の 寂しさ模様
Kさんも そんな雰囲気を 携えていて なつかしく 甘酸っぱかった
それから数年経ち 隣国を訪れた際 Kさんが ふるさとから 長時間かけて
お土産を手に 逢いに来てくれた
何も言わずに ゆっくりと 抱きしめてくれたことを 覚えている
やはり ふるさとの父に似て 重ねた年の分だけ 丸くなっていて
「‥いまでも この写真を 持っているよ」
そう言って 見せてくれたのは
京都の ホテル前を Kさんと二人で歩く 写真
冬の朝で コ-トに手を入れ 仲良く笑っている
なぜかしら やはり 親子に見えてしまい 泣きそうになる 自分がいた
父は すでに他界し
隣国の父も 海を隔てたふるさとの 山に抱かれて 眠っている
【30数年前 Kさんは あそこに 立っていた】
霊園風景 その32 「‥純白の踊り木 ヤマボウシ」
「‥純白の踊り木 ヤマボウシ」
6月中旬になると 急に 一部の樹木が まるで雪が降ったかのように
真っ白な花で 覆われます
やすらぎ霊園に入りますと 真正面に 見える「永代供養墓」の 真下に
横一列に並ぶのが この花 ヤマボウシです
ハナミズキと同じ属ですが ヤマボウシは 我が国に 自生しており
江戸時代には 外国に輸出されていたそうです
ハナミズキと同じく 花のように見えるのは 総包片という葉です
この葉が 頭巾をかぶった僧侶に 見えることから 「山法師」と
名づけられたとか
9月から10月頃 実が赤く熟しますが 果肉は 柔らかく マンゴ-のような
甘さがあって 美味しく 食べることができますし 果実酒にも 適しています
秋の紅葉もきれいで 成長があまり早くないため 公園や 家庭の庭などに
植栽されています
ただし 乾燥が苦手なので 午前中に陽があたる場所が 適しています
花言葉は「友情」
4枚の総包片の 真ん中にある緑の玉が 小さな粒々でできた ほんとうの 花
この小さな花が 秋には 固まって 大きな実になることを 考えますと
「友情」という 花言葉が ピッタリ あてはまるような気がします
山法師 白き頭が 青に映え
回顧録 no. 33 「‥‥子ども達の星 Sさん 」
「‥‥子ども達の星 Sさん 」
1993年10月末 夜8時過ぎ タイ国 ドンムアン空港
手書きのボ-ドを抱えて 待っている 多くの人の中に Sさんがいた
ちょっと見は お坊さん風 頭に髪はなく 丸いメガネをして 身長160ほど
白シャツのサンダル履き 首には 「歓迎 〇〇様」の ダンボ-ルが下がる
ニコニコと まるで 古い友達を迎えているように 笑っている
抱いていた不安感が 一瞬で 和らぐような 温かい雰囲気を 持った人だった
暑さと 湿気と 生ごみ等の匂いが 入れ交った スラム街の 一角にある
ボランティアセンターで 簡単な挨拶のあと Sさんは ちょっと鋭い 目で
「なぜ ここに来たのか」と 問うた
「国外ボランティアを通して 教育を考えたい」と答えた
「教育が必要という 考えには 同感です
しかし この国の 田舎やスラムに暮らす 子供たちには 学ぶ機会さえ
与えられていません
だから 国が貧しい 貧しさから抜け出るためには 教育しかないのです
あなたの組織の若者が この国で 学ぶように
この国の スラム街の子供たちが 学べる機会を お願いしたいのですが」
それから 1か月 Sさんにお世話になり タイ国内各地での 研修や視察を重ね
帰国後 間もなくして 組織リ-ダ-を創るための タイ国研修制度と同時に
タイ国の子供たちを支援する 教育基金制度を提案し 設立が決まった
それが 子供たちへの 限りない愛情を 訴えた 熱意と
そこまで導いてくれた Sさんへの せめてもの お返しだった
それからずっと Sさんは タイ国の子供たち支援を続け
そして 10年前 病を発症 ふるさとへ帰ることを 選び
生まれ育った国 日本で この世を去った まだ60代だった
彼の 葬儀には かつて 彼に愛され 今は タイ国を支えるまでになった
多くの教え子たちから 死を悼み 悲しむ 弔電や言葉が寄せられたという
世界中を歩き回り 最後にたどりついた タイ国
ひとりの 人間が やれることは 限られているが
彼は 病に倒れるまで この地で この子らとともに 笑い 喜び
彼らの成長に 全てをなげうって 星になった
Sさんと逢って 25年
彼の 熱意で創られた 教育基金制度は
今も 学びたい 子供たちの思いを 支え続けている
【 当時 バンコクの至る所で見られたスラム街 】
霊園風景 その31 「‥‥樹木墓を空から見る」
「‥‥樹木墓を空から見る」
2012年の夏に 販売を始めた「樹木墓」は 最後は土に還る という
これまでのお墓にはない あたらしい発想のイメ-ジで 創られました
販売当初は 目新しいものの 馴染みのないこともあって お客様の評価は
今一つでした が
春遠からずの 晩冬に紅椿が咲いて
豊後梅の素朴な花が続き
やがて 花水木の 美しい白やピンクが彩り
夏の陽射しに負けない 百日紅の赤が照り
そして 晩秋の紅葉が 芝生一面を覆う
そんな 四季の光景が 繰り返される 「樹木墓」は
今 とても 高い評価をいただき 多くのお客様に ご利用いただいています
下の写真は 6月の「樹木墓」を 120mの高さから撮影したものですが
いつも見えている 光景とは違って とても新鮮に見えます
これから 梅雨が終わり 暑い夏を迎えて 芝生はさらに緑を増し
花木たちは 一生懸命に 命をつなぎ やがて 豊穣の秋を迎えます
ぜひ一度 見学においでいただき その美しさに 触れてみてください
希望される方は 職員が 現地を案内いたします
皆さまの お越しを 心よりお待ちしています
【 空から見た 樹木墓光景 まるで幾何学模様のよう 】
「豊後梅 酸っぱさに笑む 墓の母」
回顧録 no.32 「‥地域と生きた S先輩」
「‥地域と生きた S先輩」
「 挨拶に行くなら 雨や雪など の 荒れた日が いいと思う
そして なるべく 山間部から 行こう 」
地方選挙に 出ることになった S先輩が 発した言葉
挨拶回りに 町内全域を回らなければならないが 広いうえに
その町は 山々に挟まれ 標高の高い 地区に 点々と 家が散在していた
12月には雪が降り 寒さで 至る所が凍りつき 誰もが 通るのを避ける
そんな 初冬から翌春にかけての 活動は はじめての経験だった
S先輩の言葉を信じて みんなに伝えると 案の定 批判の 声
それでも 限られた時間の中 行くしかない と
何とか説得して あえて 荒天の時こそ 奥地に行く ル-トを組み込んだ
そして 報告内容は S先輩の言葉どおりで 在宅が多く 感謝の言葉や
温かいお茶さえ いただいたと 誰もが納得した
そうした努力もあり S先輩は 高位で議員の席を 得て
それから 3期務め もっとやりたいことがあるから と勇退した
地元が頑張れるように 特産品の製造販売を 地域の仲間と 一緒に始め
その評判は高く 製造が追いつかない と うれしい悲鳴を上げていた
ある冬の夜 反省会が 近くの公民館であり 遅くに歩いて帰る途中
何らかの拍子に 用水路に落ち そのまま 帰らぬ人となった
澄み切った空に 星のきれいな夜だった という
とても寒い夜だったこと 少し飲んでいたこと 血圧が高かったこと
などが災いしたと 後で 奥様から聞いた
木訥な人で 人前では あまり しゃべることも 笑うことも しなかった
自分の主張は 曲げなかったが 頑固ではなく
見えないけれども いつも 思いやりや 優しさを 体中に 携えた人だった
田んぼのそばの 社宅あとの古い一軒家が 事務所だった
寒さと静寂さと 夕闇の中で 居ついた野良猫と 仕事をしていると
「いるかい‥」と 戸を開けて
「よかったら‥」と おでんを 差し入れ
「じゃあ‥」と 多くを語らずに 帰っていく
懐中電灯の明かりが 砂利道から 少しずつ遠のいていき
疲れたような 丸い後ろ姿が 夕闇に溶け込んで 見えなくなった
あれから 25年
あの特産物は 名実ともに 町を代表する 商品となった
そして
60代後半で逝った 最大の貢献者は 今
事務所に入ったら すぐ横の壁で 申し訳なさそうに
笑っている
【 S先輩が こよなく愛した ふるさとに似た 冬光景 】
霊園風景その30 「‥‥大山木の 咲く」
「‥‥大山木の 咲く」
径20~30㎝もある 純白の花 タイサンボク
今年も 納骨堂の近くに 甘い香りと一緒に 見事な花をつけてくれました
北米原産で わが国には明治初期に渡来したと いわれていますが
その 高貴で 優雅なたたずまいや 艶やかな濃緑の葉と 純白の花の
組み合わせは 仏の世界にも つながるような気がします
気になって 調べてみましたら やはり 多くのお寺に 植えられていました
仏教の世界に 似て 静の 雰囲気を 醸し出しす 落ち着いた 映像は
お寺の 光景に とても似合うと 思うのです
この花木の 唯一の欠点は 強風に弱いこと
幹の太さの割には 葉形がとても大きく 強い風が 来ると
耐えきれずに 折れてしまいます
ですから 大きくなっている タイサンボクは 風の少ない 場所に
植えられています
やすらぎ霊園でも 風を避けられる 納骨堂の傍で 元気に 四季を過ごし
毎年 この時期に 美しい花を 届けてくれています
そして タイサンボクの 向こうで 優しい青色を 見せているのが
同じ時期に 輝きを放つ 紫陽花で お寺や神社に多く見ることができます
この花もまた 仏や神に通じるかのように 静 を感じさせて
控えめだけれども 凛とした 美しさを披露しています
タイサンボクや 紫陽花の咲く この時期こそ 仏や神が
一番身近に感じられる そんな気もするのです
【静かに 慎ましい 美しさを見せる 大山木の花】
「包み込む 大山木の 白き手よ」