やす君のひとり言

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~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.53   「‥夢の光景 ~竹職人のKさん 」

  「‥夢の光景 ~竹職人のKさん」

 

   70才くらいだったろうか

   奥さんと 二人暮らしの その人は 母屋の下 道のすぐ上にある

   小さな 物置の前で 竹細工を しており

   顔つきやしぐさからは とても想像もできない? 

   細やかで 美しい 製品が 生まれていた

 

   いつからともなく 小学校へ通う 道すがら そこへ寄り道し

   大小のざるや 籠類 弁当箱などの製品が 所狭しと 積まれ

   その前に 申し訳なさそうに 小さなKさんが 座り 

   じゃまにならないよう 少し離れて 僕が座った

   Kさんは 本当に小さかったけど 竹を操るその手は 大きく 逞しかった

 

   「よー」 なんて言って 顔をくしゃくしゃにして 笑い迎える

   ほとんど歯がなかったから 固いものは 食べれなかったと 思うし

   喋っていることも よく聞き取れなかった

 

   手の届くところに 紙袋に包まれた飴玉が いつも置かれており

   行くと すぐに Kさんが 顎でしゃくって 「取れ」と 合図してくれ

   それを 口の中で転がしながら 手の動きに見入っていた

   シンとした時の中で シュッシュッと 竹を削る 小気味いい音だけが 響き

   その繰り返しで 薄く細い形に 仕上げると 器用に編んでいく

   手の動きの違いだけで 籠になり 笊になり 背負い子になる 

   それは 惚れ惚れするほど 鮮やかだったし 早かった  

   

   Kさんは 寡黙な人という 評判どおりで 

   誰かと話しているのを 見たこともなかったし 

   僕との 会話も ほとんどなかった  

   頭には いつも手ぬぐいを巻き付け 春から秋は肌着だけ 

   冬になるとその上に 羽織る 赤いちゃんちゃんこが 定番だった

           いつ頃だったか 西日を浴びて ちゃんちゃんこの中で うたた寝している

   Kさんを思い出す

   

 

   出来上がった籠や笊などは 数が揃うと ずっと下の 道路まで降りていき 

   一軒だけの雑貨屋さんに 卸していた

   いくつもの製品を背負うと 隠れて見えなくなる 小さな体 

   腰を曲げて 小幅で歩いて行く その後ろ姿が

   とても 寂しげだったことを 記憶している

   冬 午後の光景で 影が後を追っていた から かもしれない

 

   そして 帰る時には 必ずといっていいほど 大きな豆腐をぶら下げており

   いつも豆腐だけを食べているのでは と 思わせるほどだった 

   

   「豆腐が好きなの?」  「おぅ‥」  

   間違いなく 好きだったのだと 思う  

 

   小学校6年生になった頃 Kさんを見なくなった 

   体をこわして 入院したと聞いた 

   そして‥‥

   小学校を卒業する頃 Kさんが亡くなった

   使わなくなった あの物置では いくつかの製品が 寂しそうに 身をすぼめ

   しばらくして 物置も 壊された

 

   母のいなくなった 故郷の家 物置を整理していたら 半世紀以上前に

   Kさんから買った 竹製品が 出てきた

   どれもが 傷んでおり 朽ちる寸前のものもあったが そこかしこに

   Kさんの 面影が偲ばれ 捨てきれずに また しまい込んだ

   

   そうやって 僕は 今も Kさんとつながっている

 

       

        【Kさん そっちでも編んでいますか?】

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