やす君のひとり言

やす君の情景

~大分市竹中やすらぎ霊園~

回顧録 no.67  「‥夢の風景  ~S先生の鞭 3/3」

 

   「~S先生の鞭 3/3」

 

   それは  「しのぶ竹」 と呼んでいた 小さな竹の 根の部分

   節がごつごつして 長さ 40~50㎝ほどあったろうか 

   振ると 鞭のようにしなり 「ヒュッ」という なんでも 着き通すような

   冷たく 恐い 音がした

   先生は それで お尻を叩く 

   これまで 悪さをした 何人もの児童が 犠牲になっており

   そういう 僕も 常習者だった

   多少の 力加減は あったと思うが それでも 飛び上がるように 痛く

   最初は 泣いた記憶がある

   

   いつ 叩かれるのか  待つ間の とても嫌なこと

   「ヒュッ」‥  音の瞬間 眼が点になり 例えようのない傷みが 広がり

   そして いくつもの ミミズ腫れがついて しばらくは 消えないのだ

   その朝も いつもどおり 眼が点になって 星が飛んだ

   それでも むくれるばかりで 謝ることはしない    

   

   教室の黒板の隣に 大きな算盤が 吊るされていた

   僕は その時も S先生の注意を 何度も無視し 悪さをしたのだ と思う

   顔を真っ赤にした 先生は いきなり その算盤を 外すと

   床に置き 指差して

   「座りなさい!」と 命じた

   正座した時の その痛さといったら‥ 

   ほんの数秒で 床に転げていた

   「後ろで 立っていなさい!」

   授業が終わるまで 一番後ろに 立っていることも 日常だった 

   

   ただ‥ なぜ あれほど 怒られていたのか 

   今 おぼろげに 思い出すのは    

   おそらく あの頃の僕は‥

   成績が良く(ふたクラスだけだったが) 気弱なくせに 

   これみよがしに 身の丈以上 自分を 誇示したがっている 

   しかし 何もできない 話せない 弱虫だったから 人が右といえば 左を向く 

   ひねていて 暗くて 友達も少ない 可愛げもない  ないないづくしの  

   先生から見たら 指導に値する 児童だったに 違いないのだ

 

   5年生の時も 6年生の時も S先生が担任だった

   そのあいだ S先生は

           「 本を読みなさい」 と 時間があれば 図書館に連れて行き 

   「これがいい」 「あれがいい!」 と 勧めてくれ

   後で 必ず「どうだったか?」と 聞いてきた 

   そして 発表会担当や  学級委員など 僕がみんなの前で 自分表現を

   きちんと できるよう いろんな機会をつくってくれ  

   いつの間にか 本の言葉や 自分の思いが 素直な言葉で 出るようになり 

   それと同時に 嫌だなと 思うことでも 

   逃げずに 立ち向かうように なっていった

 

   それから 20数年後 小学校の廃校式で S先生に お逢いした

   少しだけ背が曲がり 髪は白くなっていたが 

   あのダミ声と しゃくれた顎は 昔のままだった

   「君には 手を焼いたなぁ‥」

   笑って あの時のように 頭を撫でてくれ 僕は 生徒に戻る

   その後 しばらくして S先生は 彼岸へ渡ったと 聞いた

 

   60年近く経て 小学校跡は 道の駅に変わり 残る景色は 

   青い流れの川と 石造りの堤防だけ

   それでも そこには あの木造校舎があって 

   煙草を燻らせ 鞭を振りながら 

   僕たちを 迎える S先生の なつかしい 顔と声が 今も 生き続けている‥   

  

   

   

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